2014年9月5日金曜日

アベノミクスと「女性の健康の包括的支援に関する法律」

アベノミクスと女性の活用


2013年4月19日、安倍総理は都内の日本記者クラブで、「成長戦略に向けて」をテ­ーマに講演を行いました。
官邸のサイトに、動画と書き起こしがアップされています。
スピーチの中で女性の活用について述べた部分をピックアップしてみました。

2.成長戦略の3つのキーワード
(挑戦:チャレンジ)

「人材」資源も、活性化させねばなりません。

 優秀な人材には、どんどん活躍してもらう社会をつくる。そのことが、社会全体の生産性を押し上げます。
 現在、最も活かしきれていない人材とは何か。それは、「女性」です。
 女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。「成長戦略」の中核をなすものであると考えています。
 女性の中に眠る高い能力を、十二分に開花させていただくことが、閉塞感の漂う日本を、再び成長軌道に乗せる原動力だ、と確信しています。
 具体策については、後ほど詳しくお話しさせていただきます。


6.女性が輝く日本
  さて、ようやく、私の成長戦略の中核である「女性の活躍」について、お話させていただきます。
 「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」という大きな目標があります。
 先ほど、経済三団体に、「全上場企業において、積極的に役員・管理職に女性を登用していただきたい。まずは、役員に、一人は女性を登用していただきたい。」と要請しました。
 まず隗より始めよ、ということで、自由民主党は、四役のうち2人が女性です。こんなことはかつてはなかったことであります。2人とも女性の役員では、日本で最も注目される女性役員として活躍いただいています。そのおかげかどうかはわかりませんが、経済三団体からはさっそく前向きな回答をいただけました。
 ただ、足元の現実は、まだまだ厳しいものがあります。
 30代から40代にかけての女性の就業率がガクンと下がる、いわゆる「M字カーブ」の問題については、少しずつ改善の傾向にありますが、ヨーロッパの国々などと比べると、日本はまだまだ目立っています。
 いまだに、多くの女性が、育児をとるか仕事をとるかという二者択一を迫られている現実があります。


(3年間抱っこし放題での職場復帰支援)
妊娠・出産を機に退職した方に、その理由を調査すると、「仕事との両立がむずかしい」ことよりも、「家事や育児に専念するため自発的にやめた」という人が、実は一番多いのです。
 子どもが生まれた後、ある程度の期間は子育てに専念したい、と希望する方がいらっしゃるのも、理解できることです。
(以下省略)


(子育て後の再就職・起業支援)
  子育てに専念する経験も、貴重なものです。私は、むしろ、子育てそれ自体が、一つの「キャリア」として尊重されるべきものですらある、と考えています。
 実際、自らの経験に基づいて、「外出先でも授乳できる授乳服」を開発して会社を立ち上げ、20億円規模の新たな市場を開拓した女性もいらっしゃいます。
 子育てを経験した女性ならではの斬新な目線は、新たな商品やサービスにつながる「可能性」に満ちたものです。
 ぜひともその経験を、社会で活かしてほしい、と強く願います。
(以下省略)

安倍総理は、
「女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。「成長戦略」の中核をなすものであると考えています。」
と語っています。
社会政策ではなく経済政策だとする点が、画期的です。
この点についての評価は分かれるでしょう。
私は個人的には、評価しています。
女性の地位の向上や男女の平等は、女性がその社会の中核的機能を担うことなしに実現しないと考えるからです。
女性の就労が「成長戦略」として位置づけられると、
より積極的な政策が取られると期待できます。
私はアベノミクスによる女性の活用政策に、総論としては賛成です。


女性の労働市場参加とハンデ問題


本田由紀氏のツイートです。
上で見た 安倍総理のスピーチでも、女性活用はエリート女性について述べている印象があります。
しかし、女性活用は労働人口の減少に対応した政策でもあるわけで、
実際には広く女性の労働参加を促す政策が取られると考えられます。
キラキラ女子の創出は、女性の中に格差を生じさせるという問題はありますが、
問題の核心ではありません。
問題の核心は、本田氏が指摘するように、女性がパートやアルバイト、派遣など、劣悪な雇用条件を強いられている、そしてその解決策が示されてないことです。

なぜ、女性は不利な雇用条件を強いられてきたのでしょう?
この問題の根底には、女性が産む性であることがあります。
育児や家事は男女で分担できても、
妊娠出産は分担できません。
女性が妊娠・出産する性であることは紛れもない事実であり、
そのことが女性の労働参加を阻害する要因になっています。
出産後に労働参加する場合でも、パートやアルバイト、派遣を選ばざるを得ない現実があります。
女性という性により社会的活動が制約されているのであり、
これは女性差別の問題です。
子どもを産まないという選択をすれば、
性による差別という問題は生じません。
実際に子どもを産まないという選択をする女性もいます。
しかし、子どもを産むことは、セクシャルヘルス/ライツを構成する権利です。
社会的活動の制約から自由となるために、
セクシャルヘルス/ライツを放棄せざるを得ない状況は、
セクシャルヘルス/ライツの侵害です。
労働の問題はセクシャルヘルス/ライツとも密接にかかわる問題です。

女性が産む性であることは、
女性の労働参加に不利に作用してきました。
産む性であることによる差別を認めない、
差別をなくしていく。
これが女性として求めていくことの基本です。
しかし、実際は何をどのようにすればよいのか、
むつかしい問題があります。
大阪大学の近藤滋氏は、エッセイ「共同さんかく、応募のしかく、ごかくの評価は得られるか?」を書いています。
男性ですし、フェミニスト活動をなさっている方ではありません。
エッセイは大学教員人事を想定して書かれたものでしょうが、
おもしろいなと思ってツイートで紹介したことがあります。
近藤氏は妊娠・出産が女性のキャリア形成に不利になっている現実を認めた上で、
それが不利にならないようにするにはどうすればよいかを考えています。
女性の生物学的性が社会生活の上でマイナスに作用している、
という現実から出発することは大切な視点だと思います。

女性の健康の包括的支援に関する法律と女性の労働

 
女性が妊娠・出産する性であることが、女性の労働参加に不利に作用していると書きました。
女性は妊娠・出産するだけでなく、生理があります。
生理や生理痛も女性の労働参加に不利に作用するかもしれません。
私は近藤氏と同じく、それは現実なのだからそのことが不利にならない社会にしていくことが大切と考えます。
この考えを真っ向から否定しているのが、女性の健康の包括的支援に関する法律なのです。
女性の健康の包括的支援に関する法律は、
社会を変えようとするのではなく、女性の生物学的現実を変えようとします。
具体的に書いてみましょう。
生理痛のため数日間就労が困難な女性がいるとします。
それは女性であるための生物学的現実です。
この生物学的現実によって女性が不利益を被らない社会に変えていこう、
と考えるのが私の考えです。
一方、社会は変わらなくても、女性が生理痛を克服すればよい、
というのが女性の健康の包括的支援に関する法律なのです。
 
この2つの考え方の相違は、今に始まったことではありません。
1年数ヶ月前のツイッターの会話を収録してみましょう。

上のツイートは、対馬医師の病院に勤務していた女性が理事長を務めるNPOのツイートです。
このツイートをめぐって以下の会話がなされました。






上の会話は、女性が抱えている現実に対して、社会が適応するのか、女性が適応するのかという問題です。
このNPOの女性が適応すべきだという主張は、さらにエスカレートしていきます。



 
 動画の中では、
「男女平等!女性も社会進出したい!私の能力を認めて!女性だってできる!そういう時代は十分築き上げて来れたと思う」
と語られています。
耳を疑いましたが、やはりそのように語られています。

女性の健康の包括的支援に関する法律は、これを支持している女性もたくさんいるようです。
しかし、それは決まって地位もあり経済的にも恵まれた女性名士です。
現実の日本では、多くのと言うかほとんどの女性が、女性という性のために労働参加において不利益な条件を強いられています。
女性名士たちは、そのことを知らないのでしょう。
 

日本の女性を裏切る「女性の健康の包括的支援に関する法律」


なぜ今、「女性の健康の包括的支援に関する法律」の制定が目指されているのでしょう?
アベノミクスは女性の活用を図ろうとしています。
女性の活用を進めるには、社会が女性の現実に適応する必要があります。
しかし、社会が女性に適応するとなると、企業の労働力コストは上がります。
企業の労働力コストを上げずに女性の活用を図りたいというのが、企業の本音です。
社会が適応するのではなく女性が適応してくれた方がありがたいのですが、
露骨にそう言うわけにもいきません。
そこで「女性医療」が意味を持ってきます。
女性が生物学的に持っているハンデを「克服できる」ようにサポートするのが、「女性医療」です。
もちろん、「女性医療」にそんな魔法ができるわけありません。
しかし、「女性医療」は女性のハンデ克服に役立つと幻想を振りまく役割が期待されています。
その幻想により、社会が適応すべきだという圧力をかわすことができるからです。
女性が生きにくい社会の仕組みがあります。
それが変わらなければ「女性が輝く」社会は実現しません。
この女性の願いを幻想により押さえ込もうとするもの、
それが「女性の健康の包括的支援に関する法律」です。
だから、私は「女性の健康の包括的支援に関する法律」に反対です。
 
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