2013年3月6日水曜日

「峠の我が家」の原詩翻訳=草原のふるさと

遊びで「峠の我が家」の直訳版を作ってみました。

まず、原詩Home on the Rangeと日本語の対訳です。
原意を損なわない範囲でできるだけ忠実に訳していますが、
訳が詩となるように直訳となっていない部分もあります。




草原のふるさと(対訳版)
詩 ブリュースター・ヒグリー
曲 ダニエル・E・ケリー
翻訳 ruriko
1 バァファローの群れるふるさとを我に与え給え
そこでは鹿と羚羊が戯れ
後ろ向きな語りなど聞こえないし
いつの日も空は曇らない

(コーラス)
ふるさとよ、ふるさとよ
そこでは鹿と羚羊が戯れ
後ろ向きな語りなど聞こえないし
いつの日も空に雲は見えない
Oh, give me a home where the Buffalo roam
Where the Deer and the Antelope play;
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not cloudy all day

.(Chorus)
A home! A home!
Where the Deer and the Antelope play,
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not clouded all day.
2 輝くダイヤモンド砂の地を我に与え給え
(砂は)きらめく小川から光を放つ
川辺には白鳥が優雅に舞い
あたかも天国の夢の天使のようだ
(コーラス繰り返し)
Oh! give me a land where the bright diamond sand
Throws its light from the glittering streams,
Where glideth along the graceful white swan,
Like the maid in her heavenly dreams.
(Chorus)
3 ソロモン川の風を我に与え給え
そこでは泉湧き出で命の流れとなる
ビーバー川の土手には万が一にも
いかなる毒草も茂らない
(コーラス繰り返し)
Oh! give me a gale of the Solomon vale,
Where the life streams with buoyancy flow;
On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
Any poisonous herbage doth grow.
(Chorus)
4 幾たびぞ、ここに立ちつくせしか
星々の瞬く光で天輝く夜に
そを仰ぎつ尋ねしことあり
その壮観われらのそれを越ゆるやと
(コーラス繰り返し)
How often at night, when the heavens were bright,
With the light of the twinkling stars
Have I stood here amazed, and asked as I gazed,
If their glory exceed that of ours.
(Chorus)
5 この輝ける我らが地の野の花をこよなく愛す
荒々しいダイシャクシギの鋭い鳴き声をこよなく愛す
絶壁、白い巨岩、そして羚羊の群
その草を食む山々は緑深い
(コーラス繰り返し)
I love the wild flowers in this bright land of ours,
I love the wild curlew's shrill scream;
The bluffs and white rocks, and antelope flocks
That graze on the mountains so green.
(Chorus)
6 空気は清らかでそよ風はすばらしい
そよ風は更に爽やかで軽やか
この平原こそ変わることのない我がふるさと
紺碧の空よ永遠なれ
(コーラス繰り返し)
The air is so pure and the breezes so fine,
The zephyrs so balmy and light,
That I would not exchange my home here to range
Forever in azures so bright.
(Chorus)

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上記のヒグリーの原詩は日本でさまざまに訳された。

※「峠の我が家」日本語訳詞一覧
訳詞HOME家族性時空冒頭備考
Higleyふるさと×現在 1872 Oh, give me このページ上
佐伯孝夫×追憶1940なつかしや歌詞ABC
津川主一×追憶1962?水牛は群れ「牧場のわが家」?
このページ下部コメント欄
中山知子 追憶/現在 1966 ふきわたる みんなの歌 歌詞
岩谷時子 追憶 ? あの山を listen
久野静夫追憶?空青く二木紘三のうた物語
龍田和夫追憶?空は青く二木紘三のうた物語
藪田義雄追憶?1969?角笛は二木紘三のうた物語 映画「女の市場」
教科書?追憶1965?峠には緑しげり二木コメント欄
高崎邦祐ふるさと?×追憶?春来れば歌詞GET
井上 勝 ? ? ? ? ? 004-3537-6
山田 若穂 ? ? ? ? ? 021-6961-4
音教社編集部 ? ? ? ? ? 021-6994-1
島田 磬也 ? ? ? ? ? 027-3172-0
倉橋 たかし ? ? ? ? ? 053-5441-2お帰りの歌
梶山 三郎 ? ? ? ? ? 055-1149-6
小林 純一 × 追憶 ? 花咲き 懐かしの愛唱歌集 ダークダックス
白木 達郎 ? ? ? ? ? 058-8189-7
室生 恵 ? ? ? ? ? 066-8108-5
なるけ みちこ ? ? ? ? ? 154-3704-3
水島 哲 ? ? ? ? ? 177-0442-1
rurikoふるさと×現在2013果てしなきこのページ下
(HOME→訳が家かふるさとかの違い、家族性→「温かい家族」の有無、時空→追憶なのか現在なのか、備考→JASRAC作品コード。高崎詩はアリゾナバージョン?)
不十分さの残る一覧なので、情報歓迎します。


(要約)日本では1940年の佐伯孝夫訳「峠の我が家」で作られたイメージが、戦後のさまざまな訳詞に影響を与えている。

佐伯孝夫訳は、懐かしのふるさとを追憶する趣向で、
文部省唱歌「ふるさと」と非常によく似ています。

峠の我が家
  佐伯孝夫訳詞
1.懐かしや 峠の家
  木々のみどり 深く
  ほがらかに 人は語り
  青き空を 仰ぐ
    ああ わが家
    帰りゆく 日あらば
    谷水に のど潤し
    けもの追いて 暮さん
2.空蒼き 峠の家
  花は赤く ほのか
  子供等の 古きうたに
  今日も山は 暮るる
    (繰り返し)




佐伯訳の「帰りゆく日あらば」は、
「ふるさと」の「いつの日にか帰らん」の刷り込みのようにも見えます。
佐伯訳は原詩に対して、①追憶の詩とする、②homeをふるさとではなく家とする、③家の場所を峠とする、の3点の改変を行いました。
①の追憶の詩とする改変は、後の全ての訳詞に踏襲されています。
②の家の詩とする点も基本的に踏襲されています。ただ、そうすると自然を歌った原詩と齟齬するため「牧場こそ わが家」(中山詩)のような工夫がなされました。
③の峠はタイトルとして受け継がれますが、歌詞内容では必ずしも受け継がれていません。雄大な自然描写と峠のイメージがマッチしなくなっているように見られます。
以上、佐伯訳以後の訳詞は佐伯訳を基本的には踏襲しながらも、
原詩の自然描写をより受け入れようとしているように思われます。
しかし、「峠の我が家」のタイトルを踏襲する限り、
それは不徹底に終わります。
タイトルから来る制約性を逆に発展性に変えたのが、
「家」でした。
佐伯訳で家はほぼ建物としての家でしたが、
後の訳では人の生活の場としての家に意味を膨らませていきました。

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(要約)原詩にはほのぼの家族のイメージは全くなく、自然賛歌である。自然賛歌としての新訳詞を作成した。

佐伯孝夫訳のタイトル「峠の我が家」が踏襲されていることが象徴しているように、
後の訳は佐伯訳の大枠内における洗練化と言えるでしょう。
それはそれで意味のあることと思います。
しかし、一方で佐伯訳の3つの改変により、
原詩の持つ詩情で伝えられなくなった側面のあることも事実ではないでしょうか。
原詩Home on the Rangeは、徹底して自然賛歌です。
いったん「峠の我が家」の枠を外して、原詩に立ち返ることがあってもよいかと思います。
そこで、原詩を活かした歌詞を作ってみました。
曲名は「大草原我がふるさと(西部のふるさと)」としました。
原詩が「ひかり」を隠れたモチーフにしていることも、
訳詞に取り入れました。

大草原我がふるさと
詩 ブリュースター・ヒグリー
曲 ダニエル・E・ケリー
訳詞 ruriko
1 果てしなき 大草原
  戯れる 子鹿よ
  牛の群 のどやかに
  時ながる 大地よ 
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  草輝き いのちあふる
  みどりなす ふるさと
2 湧きいづる 泉の水
  かがやきて 流れゆく
  水鳥は 舞い遊ぶよ
  幸多し 水辺よ
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  水輝き いのちあふる
  うるわしき ふるさと
3 草原に そよふく風
  清らかに みちみち
  はるかなる 地平線
  透き通る 青空
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  風輝き いのちあふる
  きよらけき ふるさと
4 ふるさとに 暮らせる人
  穏やかに 希望もち
  天にみつ 星の輝き
  仰ぎ見る 夜空よ
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  星輝き いのちあふる
  いとしきや ふるさと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



(要約)原詩を西部開拓賛歌として捉えると、先住民抑圧の歴史が見落とされることになる。

※なお、この歌の背景には白人による先住民族抑圧の歴史があります。
原詩の書かれた1870年代のカンザス州は、「西部開拓」の前線地域です。
「Home on the Range」は白人入植者がこの地を自分たちの「ふるさと」にする、
と宣言している歌詞とも見ることができます。
原詩でgive meが繰り返されていますが、
白人から見れば「神より賜わりしもの」ですが、
先住民から見れば白人の略奪にほかなりません。
これから「Homeふるさと」にしようとしている入植地について、
すばらしい土地だから我が家を立てようと述べていると、
見ることもできます。
このような背景がこの歌にはあることを知っておく必要があるでしょう。
そのことを知った上でも、この歌の価値は損なわれません。
この歌は見方によれば上に述べたような「入植」「開拓」の歌と理解できます。
家や人に焦点化する佐伯孝夫訳「峠の我が家」やそれを踏襲する訳は、
極論すればこの系譜に属します。
他面でこの歌は自然賛歌と理解できます。
「Home on the Range」は、ふるさとを懐かしむ歌では決してありませんし、
まして楽しい「峠の我が家」の歌でもありません。
開拓者個人の自然に対す感情の表現としてこの歌を捉え直し、
その観点から訳詞したのが「大草原我がふるさと」です。


(要約)原詩の「鹿とアンテロープが遊ぶふるさと」は、先住民と白人が共生するふるさとの理想を述べたものと解釈できる。

※英語の原詩では、
home where the deer and the antelope play
が繰り返されます。
このフレーズはアメリカ人にも意味不明で奇妙な1節になっています。
アンテロープantelopeは羚羊と訳される鹿に似た動物ですが、
動物学的には牛に近い種です。
旧大陸には広く分布しますが、新大陸にはいない種です。
ヨーロッパ人にとってもなじみの薄い動物です。
原詩では「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」と表現されます。
唐突にアンテロープが登場しているのです。
「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」の意味は何なのでしょうか。
この問題を考える際に、重要なのは時代背景です。
1870年代のカンザスでは、白人と先住民の陰惨な戦いが繰り広げられていました。
ヒグリーはこの戦いの勝利者側の人間です。
原詩Home on the Rangeは、白人の勝利宣言の歌とも読めると書きました。
しかし、私は少し異なる理解をしています。
その鍵がこの「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」です。
鹿はアメリカ大陸に野生していました。
ヒグリーの目の前には現実に鹿がいました。
彼は先住民を鹿になぞらえ、
旧大陸からやってきた白人をアンテロープになぞらえたのではないでしょうか。
このように理解すると、
「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」は、
先住民と白人が共生するhome(ふるさと/家)の意味になります。
私はこのフレーズがそのような意味に思えてなりません。
もしこのように解釈すると、ふるさとの意味も変わってきます。
まずhomeは家ではあり得ません。
homeはふるさとの意味になります。
そのふるさとはたんに白人入植者のhomeふるさとの意味ではなく、
先住民と白人の共通のhomeふるさとの意味になります。
「鹿(先住民)とアンテロープ(白人)が遊ぶふるさと」なのですから、
このように解釈するのが自然です。。
原詩の書かれた1870年代のカンザスは、
まだ戦いのただ中にありました。
戦いのただ中で「共生」を歌った歌と理解すると、
この歌は平和を願う歌だったと見なすことができます。
輝かしい自然に陰惨な戦いは似合わないと訴えているのが、
この歌であると私は理解しています。

(要約)原詩のdiscouraging word云々は、白人と先住民の間の憎しみと復讐の連鎖を断ち切り、陰惨な戦争を終結させようと訴えている。

もう一つ意味のわかりにくい言葉があります。
「鹿とアンテロープが遊ぶふるさと」に続いて、
discouraging wordが語られないと続きます。
直訳すれば落胆の言葉となります。
ただそうすると、これも唐突な感じになってしまいます。
この言葉を私は「憎しみ合いの言葉」と理解しています。
先住民と白人の戦いでは、
憎しみと復讐の連鎖が生じていました。
平和は憎しみの連鎖を断ち切ることによって実現できます。
共生のふるさとでは憎しみ合いの言葉は当然消えることになります。
それを「discouraging wordが語られない」ふるさと、
と表現しているのではないでしょうか。
対訳では「後ろ向きな語りなど聞こえない」と訳し、
歌詞訳では「光満つ いのちあふる ふるさと」と表現しました。
陰惨な世界からの決別を希求する歌であるとの理解に基づきます。


(要約)英語のhomeは居場所と感じる場所であるのに対して、日本語の過去の生活の地を意味する。

※ハウスhouseは家なのですが、ホームhomeはhouseよりずっと多義的です。
英語の辞書には以下のようにあります。
1.   A place where one lives; a residence.
2.   The physical structure within which one lives, such as a house or apartment.
3.   A dwelling place together with the family or social unit that occupies it; a household.
4.   a. An environment offering security and happiness.
      b. A valued place regarded as a refuge or place of origin.
5.   The place, such as a country or town, where one was born or has lived for a long period.
おそらくhomeに一番近い日本語は居場所でしょう。
居場所と感じる場所がhomeで、homeには心理的要素が含まれています。
my old Kentucky home(懐かしきケンタッキーの我が家) のhomeはほぼ家ですが、
このhomeにも微妙に心理的要素が含まれているように思えます。
上記の「5.人が生まれたあるいは長く生活している国や町のような場所」は、
日本語ではふるさとです。
ただhomeは実際の居場所であるだけでなく、居場所と感じる場所まで含まれます。
そのために、homeとふるさと(故郷)の間にはニュアンスの相違が生じます。
故郷はもともと中国語から入ってきた言葉です。
出身地ほどの意味だったと思われます。
現代中国語の故郷は日本語の故郷と同じで、
生まれた地、育った地を意味します。
魯迅の小説「故郷」は、日本語の故郷と同じ意味です。
日本語でも中国語でも、
故郷は過去性を色濃く帯びています。
特に日本では故郷は「古里・故里・ふるさと」であり、
現在の生活の地と対比される過去の生活の地を意味します。
一方、英語のhomeはというと、
やはりいくぶんかは過去性を帯びています。
しかし、日本語の故郷(ふるさと)と較べるとその過去性はずっと薄いように思われます。
エーデルワイスの歌詞にmy home land foreverとあります。
このhome landは過去に生活していた故郷(ふるさと)の国ではなく、
現に生活している自分の国の意味です。
同様に、home townは過去に生活した町であってもよく、
現在生活している町でもよい言葉です。
このように現在性・主観性を持つ「home」と過去性の強い「故郷(ふるさと)」には、
ニュアンスの違いがあります。
homeを日本語の「ふるさと」置き換えると、
現在性がなくなり追憶の対象となりがちです。
それにもかかわらず、敢えてふるさととしたのはある考えによります。
この点については、機会があれば書いてみたいと思います。

ピースソングとしての「草原のふるさと」(英語ページ)要約】
このページの英語版だが、このページとの相違点は、「ビーバー川の土手に毒草は茂らない」がインディアン戦争のビーバー川の戦いを念頭に、不戦を願うフレーズと指摘していることなど。反戦歌として解釈できるとの論旨。

関連記事
聖処女幻想の国(4)「峠の我が家」考
ピースソングとしての「草原のふるさと」 (英語)

参照
インディアン戦争(日本語wikipediaの解説。よくまとまっている。)
『峠のほのぼのわが家』???
峠の我が家 歌詞・MIDI・日本語訳 (対訳。ただしテキストはオリジナルバージョンでない)

5 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

峠の我が家 二木紘三のうた物語のサイトに
以下の投稿があります。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2010/03/post-c90e.html

>中学2年の音楽の教科書に載っていたのは、
>津川主一さん訳詩の「牧場のわが家」で歌詞は下記のとおりでした。
> 1.水牛は群れさすらい カモシカはたわむれ
>   野に山に光満ちて 空も晴れ渡れり
>    なつかしや 牧場のわが家
>    野に山に光満ちて 空も晴れ渡れり
> 2.流れゆく小川の水 銀の砂を運び
>   白鳥は夢のごとく 川の面に浮かぶ
>    なつかしや~
>
>外国の訳詩の歌はどうしてか、
>一番最初に覚えた歌詞を好きになってしまいます。
> その時に感動した心や、思い出に惹かれてしまうからでしょうか。
>
>投稿: コーデリア | 2010年3月24日 (水) 11時25分

津川主一氏はフォスター作品の訳詞を数多く手がけており、
氏がHome On The Rangeの訳詞を行ったことはありそうに思えます。
そうだとすると、津川氏は【峠の】の改変を原詩に戻そうとしていたことになります。
さらにこの訳詞を見ると、明らかに原詩の訳詞になっています。
数多くの「峠の我が家」訳詞の中には、
訳詞と言うより日本語の訳詞の替え歌も混じっていると思います。
そのような中にあって、「牧場のわが家」は文字通りの訳詞です。
diamond sandを見てなければ、「銀の砂」の表現は絶対に出てきませんし、
そのような表現ができるのはプロ中のプロでしょう。
また叙情的な色彩が弱く、自然賛歌の訳になっています。
これも日本の他の訳詞が叙情的改変をしているのに対して、
逆方向です。
この訳詞は異色の訳であったと位置づけることができようかと思います。

jiro-asayama さんのコメント...

(追伸) 「Where seldom is heard a discouraging word(後ろ向きな語りなど聞こえない)」自体は、過酷な中でも周りの者達の気持ちを落とし込まない開拓者の魂として共感した次第です。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
私は1945年生まれですが、この歌は中学校で習ったと思います。
「牧場の我が家」で、コーデリアさんの歌詞と同じです。私はそれ以外の訳詞を知りません。
コーデリアさんと私の年齢は都会のではないかと思います。

Unknown さんのコメント...

ブログを書いた後にいただいた情報では、津川主一訳詞の「牧場の我が家」は、
学校図書の音楽教科書に掲載されていたようです。
確認できていませんが、以下の教科書ではないかと考えていました。
中学校音楽2年
学校図書株式会社
検定年昭和36年
使用年昭和37年~昭和43年(1962年~1968年)
著作者 坂本良隆, 津川主一, ほか6名
匿名様は1945年生まれとのこと。
とすると、中学校は1950年代末となり、想定していた教科書より前の教科書となりますね。
貴重な情報ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
先日匿名で投稿した者です。
>コーデリアさんと私の年齢は都会のではないかと思います。

ミスに気がつかずに投稿しましたが、上記「都会」は「近い」の誤りです。ごめんなさい。
その後のRURIKO PIRUTON様のコメントを拝読すると、コーデリアさんよりも私は数年早く生まれているようです。
「牧場の我が家」を習った頃の教科書には「菩提樹」や、「ローレライ」など、が載っていました。「おおスザンナ」なども、その頃習ったと思います。
ただ、音楽教科書はとうに手元にはなく、確かめられないのが残念です。

「五木の子守唄」についての優れた考察にも感心いたしました。