2013年2月19日火曜日

もう一つのノルレボ物語(1)2000年に起きた異変

2011年5月、緊急避妊薬(モーニングアフターピル)として、
ノルレボが認可発売されました。
日本のノルレボ価格は他の先進国の4倍という常識外の価格になっています。
緊急避妊薬は認可するけれども普及はさせないという政策が見え隠れします。
その背景を見ていくことにします。

1994年、我妻堯は『日本医師会雑誌』112巻14号に「モーニングアフターピル」を執筆しました。
参照
これは、日本に緊急避妊法が紹介された最も早い事例のひとつです。
しかし、この緊急避妊法の紹介はほとんど関心を持たれませんでした。
「ピルとのつきあい方」が1999年に緊急避妊法を紹介した時点で、
緊急避妊法を知っている女性は皆無だったと言ってよいでしょう。
したがって、1999年以前に緊急避妊の処置を受けた女性もほぼ皆無でした。
「ピルとのつきあい方」は日本にある薬剤で緊急避妊ができることを具体的に伝えました。
日本における緊急避妊は、「ピルとのつきあい方」から始まったと言っても過言ではないでしょう。

1999年はまだインターネットの黎明期です。
携帯電話によるネット接続は皆無、
LAN接続も珍しく多くは電話回線接続の時代でした。
そのようなネット環境にも関わらず、
当サイト発の緊急避妊情報は爆発的とも言える広がりを見せました。
緊急避妊の普及は中絶の増加に歯止めをかけたかもしれません。
以下の図は年齢階級別の人工妊娠中絶率の推移を示しています。


20~24歳のグラフを見ると、
増加していた中絶率が2000年を境に横ばいに転じています。
当時のもっともヘビーなネット人口は、
この20~24歳の年齢層に集中していました。
ネットを通じて緊急避妊情報を得たこの年齢層で、
中絶率の上昇が阻止されたとも推測できます。
それから2年遅れて20歳未満の年齢層の中絶が低下に転じます。
ネットの準ヘビーユーザー階層であったこの年齢層にも、
緊急避妊情報が広まったのかもしれません。

この中絶率上昇の急ブレーキの原因は何でしょうか。
性教育が普及して避妊が徹底されるようになった、などということはありません。
2000年は経口避妊薬解禁の翌年ですが、
まだ普及率も低く中絶率にこのような影響を与えることは考えられません。
生活スタイルの変化により中絶されていた妊娠が出産されるようになったのでしょうか。
出生数に大きな変化は見られませんし、
生活スタイルの変化でこのような急激な変化が起こることはありません。
セックスレス化など意識の変化は、この変化と関係している可能性があります。
しかし、それにしては変化が急激すぎます。
上に述べたことがいくぶんか関係しているにしても、
この変化は緊急避妊の普及が原因となっている可能性が最も高いと思われます。
もし、そうであれば緊急避妊普及のきっかけとなった当サイトにとって、
とてもうれしいことですし、それは当サイトの誇りです。

もう一つのノルレボ物語(2)に続きます。

2000年に起きた異変
緊急避妊フィーバー
「適正使用」路線の第一歩/低用量ピルの除外
ソフィア狩り
プラノバール潰し
ノルレボ高価格の舞台裏
奇妙な親切
乱用幻想のプロパガンダ
良心的医師の悲鳴
親鸞は弟子一人ももたず
隠された情報
「適正使用」の代償



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