荻生徂徠が作った日本
日本が他のアジア諸国と異なる近代化の道を歩み始めるのは、いつからでしょう?
歴史の教科書では、明治維新が強調されますので、明治維新以後に日本は近代化の道を歩み始めるとの印象を与えています。
しかし、江戸時代の日本では他のアジア諸国にない、さまざまな現象が生じていました。
私がおもしろいと感じるのは、自己の考えを論理的に主張する人々が広汎に出現したことです。
江戸時代、山の所有権や境界をめぐる紛争が頻発しました。
山論と言います。
裁判で争われることもありました。
長期の裁判になることも少なくありませんでした。
そこには甲論乙駁の論理の世界があり、それに関与したのは一般人でした。
現代人が見ても新鮮さを持っています。
江戸時代の日本には、自己の考えを主張する文化があったように思えます。
もし、江戸時代の日本に独自の精神文化があったとすれば、荻生徂徠の影響に注目すべきでしょう。
江戸時代は朱子学の時代ではありませんでした。
中国や朝鮮には科挙(官吏の登用試験)がありました。
試験には正解が必要です。
正解は朱子学の中にあり、正解を学ぶ「試験勉強」が盛んに行われました。
科挙のなかった日本では朱子学は普及しませんでした。
「試験勉強」のような学習はおもしろくなかったからです。
日本で流行ったのは荻生徂徠の学問です。
荻生徂徠の学問は、研究的・論争的・探求的学風でした。
江戸時代の学者の多くは、多かれ少なかれ徂徠学の影響を受けました。
荻生徂徠を通して、江戸時代の日本には論理で決着を付ける文化が浸透しました。
それは唯々諾々と服従する封建時代人のイメージとはかけ離れています。
万機公論に決すべし
明治政府の最初の施政方針は、五箇条の御誓文です。
その第1条には「万機公論に決すべし」と書かれています。
明治維新は欧米の市民革命とは異なる性格を有しています。
しかし、この「万機公論に決すべし」は、明治維新の市民革命【的】な性格を示しています。
市民革命は、【国王による意志決定】方式の否定でした。
【国王による意志決定】に代わるものが【議会による意志決定】でした。
五箇条の御誓文には、【議会による意志決定】を彷彿とさせる文言が唐突に出てくるのです。
いや、唐突にではなく、それは自然に出てきたのかもしれません。
江戸時代の日本は、絶対権力者による意志決定の社会ではありませんでした。
江戸時代の日本には論理で決着を付ける文化が浸透していました。
その延長線上に、「万機公論に決すべし」があるように思えます。
明治の思想家福澤諭吉は、独立自尊を唱えます。
福澤は欧米人の中に独立自尊の精神を発見したのですが、
実は欧米人【を通して】独立自尊の精神を発見したのではないかと思えます。
福澤も論理で決着を付ける文化の中で育った人です。
奴隷の文化の中で育った人ではありません。
だからこそ、独立自尊の精神を発見できたのではないかと思えるのです。
滅私奉公への堕落
気骨のある明治人と言われることがあります。
日本人は近代のある時期まで、独立自尊の近代人に向かって進歩していたように思えます。
しかし、一方でアンチ独立自尊の思想も成長していきます。
楠正成は忠君の人として戦前の教科書で頻繁に取り上げられました。
幕末から始まる楠フィクションを福澤は「楠公権助論」として批判したことがありました。
昭和戦前期に入ると、楠正成賛美は極に達します。
楠正成は滅私奉公のモデルとして祭り上げられました。
滅私奉公は『戦国策』中の言葉のようですが、
楠フィクションを彩る言葉として使用されました。
荻生徂徠に始まる日本の誇るべき文化は、
偏狭な愛国主義イデオロギーによって窒息させられたのです。
内なる滅私奉公
滅私奉公は戦争遂行の標語でした。
戦後、滅私奉公は死語となります。
しかし、はたして日本人は滅私奉公のメンタリティから脱却できたのでしょうか?
「愛する○○と私」の関係を見て見ましょう。
戦前の滅私奉公で「公」は天皇や国家でした。
愛する天皇(国家)のためには私を殺して従う、
これが滅私奉公でした。
現在を見て見ます。
日本で政党と支持者の関係は、
右も左も余り変わりません。
日本では政党の政策が変わっても支持者は変わりません。
政党の政策が変わると、支持者の考えが変わるからです。
「愛する政党と私」の関係で、政党(公)が優先され私が従属してしまうからです。
政党を会社や団体の組織に置き換えても同じような関係が見て取れます。
「愛する彼(彼女)と私」を見て見ましょう。
1969年、奥村チヨの歌「恋の奴隷」がヒットしました。
「あなた好みの、あなた好みの女になりたい」が繰り返されます。
さすがに現在、このような歌詞の歌が作られることはないでしょう。
しかし、この歌詞は現在でも続く日本人の恋愛感情の一側面を表しているように思えます。
彼や彼女(公)が優先され私が従属してしまう関係です。
彼や彼女を個人と個人の一般的な人間関係に置き換えても同じような関係が見て取れます。
日本でピルが解禁されて15年が経ちます。
15年経ちますがピルはメジャーなわけではありません。
そのような中で、熱烈なピルのファンが生まれました。
つまり、「愛するピルと私」の関係ができています。
ピルは完全な薬ではありません。
メリットもあれば、デメリットもあります。
しかし、もしかするとデメリットに目をつぶる恋の奴隷の心理が働くかもしれません。
もしそうであるなら、偏狭な愛国主義者が誇るべき文化的伝統を押し殺したのと同様に、
熱烈なピルファンはピルを押しつぶしてしまうかもしれません。
自立的ピルユーザーであれ
ピルがあって「私」があるのではありません。
「私」があってピルがあるのです。
ピルには長所もあれば欠点もあります。
欠点に目をつぶってはいけません。
私は15年前、「ピルは頭で飲む薬」と書きました。
この考えは最初にピルと出会ったときからずっと変わっていません。
日本バンザーイを叫ぶ人が愛国者でしょうか?
違います。
日本をよりよい国にしていこうとする人が愛国者です。
ピルについても同じです。
変な言い方ですが、私はピルを愛しています。
だから、ピルの欠点も率直に語り、
私たちにとってもっといいピルにしていきたいのです。
自立的ピルユーザーがこの国のピルの歴史を作る、
そんな思いでサイト名を「ピルとのつきあい方」にしました。
ピルとつきあうことは、内なる滅私奉公から脱却することでもあると思うのですが。