2014年9月10日水曜日

町の女性保健室は必要ないですか?

一面の真実


がんナビのサイトに、
子宮頸がん国際会議レポート(3)子宮頸がん検診の受診率を高めるために日本は何をすべきか
という記事があります。
「欧米では健康教育にかかりつけの産婦人科医や母親が重要な役割」、「欧州では性経験の有無に関わらず、産婦人科医に行く習慣がある」、「世界で子宮頸がんを知るキャンペーンが盛り上がる」という内容です。
実態を調査したわけではなく、筋書きは欧州の産婦人科医のインタビューをつなぎ合わせた物となっています。
記事では、「何歳から、産婦人科医の診察を受けているか」の調査結果と、女性の初体験の平均年齢から、
「性体験のないころから、かかりつけの産婦人科医がいて、診察や検査を受けるのが当たり前のように考えられている」との結論が導かれています。
かなり強引というか、非論理的です。
さらに、それを補強する事例として、母親と一緒に14歳で産婦人科を受診した女性キャロル・スカール氏(42歳)の話が出てきます。
日本の産婦人科医の夢物語をなぞったような内容になっています。
おそらく、記者は欧米の産婦人科病院に行った経験が一度もないのでしょう。
ほぼ例外なく予約制で、診療は時間をかけてゆったり行われます。
もし、ほとんどの女性に掛かり付け産婦人科医がいて、特に用事はないのに受診するのだったら、1年が1000日以上あっても間に合いません。
それは日本でも同じです。
日本の産婦人科病院は今でも混雑しています。
ほとんどの女性が産婦人科を掛かり付け病院にするようになったら、すぐにパンクしてしまいます。
まして、14歳の娘と母親が「生理が始まりました」と受診すると、
産婦人科医はどう対応していいのか戸惑うでしょう。
事情は、日本も欧米もほぼ同じです。
記事に書かれていることは、デタラメではありません。
ただ、それは一面の真実であるように思います。
欧米で子宮癌検診の受診率が高い理由を十分に説明していないように思えます。

歴史の分かれ目となった1970年


上の記事にキャロル・スカール氏(42歳)のことが出てきます。
彼女のお母さんは現在60歳代と推測できます。
お母さんがティーンエイジャーだった頃、ピルが認可されます。
そして、10年後の1970年には20歳代になっていたでしょう。
お母さんの世代の女性は、ピル第1世代であるとともに、
女性の健康サービスの第1世代でした。
欧米で中絶が合法化されるのは、1970年代です。
中絶が非合法であった時代、女性にとって避妊は現代人が想像できないほどの重大事でした。
そのような時代にアメリカでは1つの法律が成立します。
PUBLIC LAW 91-572-DEC. 24, 1970(英語)です。
一般に、「避妊サービス及び人口研究法(人口研究と自主的避妊プログラム)」と呼ばれます。
1970年、米国上下院の全員一致で成立した「避妊サービス及び人口研究法(人口研究と自主的避妊プログラム)」は、避妊だけに止まらないで、女性の健康全般に寄与する歴史的な法律となりました。
この法律では、低所得者などへの避妊サービスの提供が規定されました。
タイトル・テン(Title X)と呼ばれます。
タイトル・テンについて、米国厚生省のサイトは以下のように説明しています。


For more than 40 years, Title X family planning clinics have played a critical role in ensuring access to a broad range of family planning and related preventive health services for millions of low-income or uninsured individuals and others.




40年以上にわたって、タイトルテン指定の家族計画クリニックは、低所得あるいは無保険の人々などに対する広汎な家族計画と関連する予防医学サービスへの確実なアクセスにおいて、決定的に重要な役割を果たしてきました。

 

家族計画クリニックは避妊サービスを中心にしながらも、実際は性感染症予防や子宮癌・子宮頸がん・乳癌検診など性に関する広汎なサービスを提供しました。
また、もともとは経済弱者の女性を対象とするものでしたが、女性に限らず、また在学中の生徒・学生に対してもサービスを提供しました。
タイトル・テンの家族計画クリニックは、学校の保健室に対して町の保健室と呼びうる存在でした。
この法律のできた1970年は、第1次ピル恐慌の年でもありました。
リブ運動が盛り上がっていた時代背景もあり、家族計画クリニックでは自分の身体を自分で守る女性を応援する丁寧な対応が取られました。
ここに自分の身体は自分で守るという女性とそれを支援する医療の関係が生まれました。
このような動きはアメリカに限らず、日本を除く先進国に広がりました。
キャロル・スカール氏のお母さんはフランス人と思われますが、
女性の意識変容はアメリカよりも大きなものがありました。
タイトル・テンが作ったものは単なるクリニックではなく、女性の学校だったのです。



日本に町の保健室が出来なかったわけ


町の保健室としての家族計画クリニックのような施設は、またたく間に先進各国に広がります。
日本だけがその埒外にありました。
その理由は明白です。
アメリカの1970年「避妊サービス及び人口研究法」は、突然作られたものではありません。
アメリカでは女性の権利を守る避妊運動が、すでに大きな社会運動になっていました。
この社会運動が女性の熱い支持を得ていたので、
1970年法に反対する議員は1人もなく全員一致で可決されました。
またすでにピルがメインの避妊法となっていました。
ピルは他の避妊法と異なり、きめ細かなサポートを必要とする避妊法です。
ピル初心者の若者にきめ細かなサポートをするには、
従来の産婦人科病院のシステムでは困難があると気づかれていました。
さらに、女性達は避妊の医療化の問題に気付き始めていました。
ピルのボストン茶会事件では、医療の指示に従うだけの避妊が問題とされ、
女性の主体性の回復が課題として示されました。
このような諸背景は先進諸国に共通するものだったので、
町の保健室はまたたく間に広がったのです。
一方、日本は全く事情を異にしていました。
日本では1950年代から国策として家族計画運動が展開され、
社会運動としての避妊運動は消滅していました。
国策家族計画運動を主導した家族計画連盟は、
ピル認可反対の急先鋒でした。
ピルもない民間の社会運動もない日本では、
町の保健室など思いもよらないものだったのです。
1970年当時、日本の避妊法はペッサリーからコンドームに変わっていました。
日本には、女性が性を通して女性の主体性を考える条件がありませんでした。
1970年当時に限れば、自分の身体を守るという意識で、
日本の女性と欧米の女性とでは大きな違いはなかったかもしれません。
しかし、40数年の歳月を経て、その差は決定的に大きな差となりました。
産婦人科の敷居の高さの差、子宮頸がん検診受診率の差は、
40年の積み重ねであるように思います。
キャロル・スカール氏のお母さんは、14歳の娘を産婦人科に連れて行きました。
啓発すれば日本の女性もそのようになるでしょうか?
私は懐疑的です。
40年間、町の保健室が発信してきた文化があります。
その文化は、女性達の語りと経験の交流と専門家のアドバイスが融合した文化です。
その文化は、町の保健室から町全体、国全体に広がり、
女性達の確信を形成しています。
このように考える私は、啓発主義に懐疑的です。

町の保健室は女性の人権センター


性差医学という医学思潮があります。
女性と男性では、病気のリスクが異なったり、薬の効き方が異なったりします。
それを研究するのが性差医学です。
性差医学研究を進めるための、あるいは応用するための病院があります。
女性医学のための病院です。
このような病院は女性の医療の進歩に役立つでしょう。
(以上は、日本の一部の医師が提唱している独自理論の女性医療について述べたものではありません)
Veterans Affairs Medical Center, Women’s Clinic, Philadelphia, Pa. (Array Architects)


一方、避妊クリニックから発展してきた女性のための病院があります。
町の保健室です。
タイトルテンによるクリニックは、単なる避妊クリニックではなく、性感染症、女性腫瘍、性自認などにカバーを広げていきます。
それは偶然のことではありません。
このクリニックの理念が、リプロダクティブヘルスライツだったからです。
避妊はリプロダクティブヘルスライツの核心です。
タイトルテンのクリニックは、避妊を通して社会的弱者のプロダクティブヘルスライツにかかわりました。
避妊、特にピルによる避妊には、学習が必要です。
タイトルテンのクリニックは、女性の意識を変える学校でもありました。








日本循環器学会等は、「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」を策定しています。
女性の虚血性心疾患は閉経後に急増し、しばしば非典型的症状を示します。
これは性差医学が明らかにした知見です。
性差医学は女性の疾病診断や治療に役立つでしょう。
しかし、だからといってリプロダクティブヘルスライツの前進に繋がるものではありません。
女性の性差特性を考慮した診療を行う病院が出来たとしても、
リプロダクティブヘルスライツの前進に繋がるものではありません。
性差医学がリプロダクティブヘルスライツの前進に役立つと言い張っているのは、
日本の一部の産婦人科医だけです。
欧米で、そして現在開発途上国で、女性のリプロダクティブヘルスライツの前進は、避妊相談を核とする活動でもたらされてきました。
日本では、「ピルは避妊薬というよりライフデザインドラッグだ」と考える産婦人科医がいます。
そのような産婦人科医が考えたのが、性差医療の推進をうたう「女性の健康の包括的支援法」です。
この法が成立し、「女性医療」の病院ができても、
それは町の保健室ではありません。
町の保健室になる事もありません。
それどころか、町の保健室が作られる願いを妨害するものです。








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      ※(正)課題  (誤)仮題

   ※(正)向上   (誤)工場

「女性の健康の包括的支援法」の対案としての町の女性保健室

 
人権は政府に守ってもらうものではありません。
人権は医師が守ってくれるものでもありません。
人権を守るのは、社会運動です。
人権を守る社会運動を国家は支援する、このような関係にあると私は考えます。
欧米におけるリプロダクティブ・ヘルス・ライツの発展は、
そのような関係で成し遂げられたと考えています。
日本にはそれが欠けていました。
あるにはあるのですが、十分とは言えない状態だと思います。
今すぐ、町の女性保健室はできないかもしれません。
しかし、必ず出来ますし、作らなくてはいけません。
「女性の健康の包括的支援法」ができても、
女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツを守ることは永遠にできません。
今、できないものを「できる、できる」と宣伝しています。
幻想を振りまいているのです。
「女性の健康の包括的支援法」が成立してからも、
幻想が振りまかれ続けるでしょう。
その状態は最悪です。
女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツを守る核が永遠に失われます。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを前進させる町の女性保健室を目指すべきだと思います。





町の女性保健室は必要ないですか?(本記事)
仮題:懐柔されるフェミニスト達。近日公開予定

 

2014年9月5日金曜日

アベノミクスと「女性の健康の包括的支援に関する法律」

アベノミクスと女性の活用


2013年4月19日、安倍総理は都内の日本記者クラブで、「成長戦略に向けて」をテ­ーマに講演を行いました。
官邸のサイトに、動画と書き起こしがアップされています。
スピーチの中で女性の活用について述べた部分をピックアップしてみました。

2.成長戦略の3つのキーワード
(挑戦:チャレンジ)

「人材」資源も、活性化させねばなりません。

 優秀な人材には、どんどん活躍してもらう社会をつくる。そのことが、社会全体の生産性を押し上げます。
 現在、最も活かしきれていない人材とは何か。それは、「女性」です。
 女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。「成長戦略」の中核をなすものであると考えています。
 女性の中に眠る高い能力を、十二分に開花させていただくことが、閉塞感の漂う日本を、再び成長軌道に乗せる原動力だ、と確信しています。
 具体策については、後ほど詳しくお話しさせていただきます。


6.女性が輝く日本
  さて、ようやく、私の成長戦略の中核である「女性の活躍」について、お話させていただきます。
 「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」という大きな目標があります。
 先ほど、経済三団体に、「全上場企業において、積極的に役員・管理職に女性を登用していただきたい。まずは、役員に、一人は女性を登用していただきたい。」と要請しました。
 まず隗より始めよ、ということで、自由民主党は、四役のうち2人が女性です。こんなことはかつてはなかったことであります。2人とも女性の役員では、日本で最も注目される女性役員として活躍いただいています。そのおかげかどうかはわかりませんが、経済三団体からはさっそく前向きな回答をいただけました。
 ただ、足元の現実は、まだまだ厳しいものがあります。
 30代から40代にかけての女性の就業率がガクンと下がる、いわゆる「M字カーブ」の問題については、少しずつ改善の傾向にありますが、ヨーロッパの国々などと比べると、日本はまだまだ目立っています。
 いまだに、多くの女性が、育児をとるか仕事をとるかという二者択一を迫られている現実があります。


(3年間抱っこし放題での職場復帰支援)
妊娠・出産を機に退職した方に、その理由を調査すると、「仕事との両立がむずかしい」ことよりも、「家事や育児に専念するため自発的にやめた」という人が、実は一番多いのです。
 子どもが生まれた後、ある程度の期間は子育てに専念したい、と希望する方がいらっしゃるのも、理解できることです。
(以下省略)


(子育て後の再就職・起業支援)
  子育てに専念する経験も、貴重なものです。私は、むしろ、子育てそれ自体が、一つの「キャリア」として尊重されるべきものですらある、と考えています。
 実際、自らの経験に基づいて、「外出先でも授乳できる授乳服」を開発して会社を立ち上げ、20億円規模の新たな市場を開拓した女性もいらっしゃいます。
 子育てを経験した女性ならではの斬新な目線は、新たな商品やサービスにつながる「可能性」に満ちたものです。
 ぜひともその経験を、社会で活かしてほしい、と強く願います。
(以下省略)

安倍総理は、
「女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。「成長戦略」の中核をなすものであると考えています。」
と語っています。
社会政策ではなく経済政策だとする点が、画期的です。
この点についての評価は分かれるでしょう。
私は個人的には、評価しています。
女性の地位の向上や男女の平等は、女性がその社会の中核的機能を担うことなしに実現しないと考えるからです。
女性の就労が「成長戦略」として位置づけられると、
より積極的な政策が取られると期待できます。
私はアベノミクスによる女性の活用政策に、総論としては賛成です。


女性の労働市場参加とハンデ問題


本田由紀氏のツイートです。
上で見た 安倍総理のスピーチでも、女性活用はエリート女性について述べている印象があります。
しかし、女性活用は労働人口の減少に対応した政策でもあるわけで、
実際には広く女性の労働参加を促す政策が取られると考えられます。
キラキラ女子の創出は、女性の中に格差を生じさせるという問題はありますが、
問題の核心ではありません。
問題の核心は、本田氏が指摘するように、女性がパートやアルバイト、派遣など、劣悪な雇用条件を強いられている、そしてその解決策が示されてないことです。

なぜ、女性は不利な雇用条件を強いられてきたのでしょう?
この問題の根底には、女性が産む性であることがあります。
育児や家事は男女で分担できても、
妊娠出産は分担できません。
女性が妊娠・出産する性であることは紛れもない事実であり、
そのことが女性の労働参加を阻害する要因になっています。
出産後に労働参加する場合でも、パートやアルバイト、派遣を選ばざるを得ない現実があります。
女性という性により社会的活動が制約されているのであり、
これは女性差別の問題です。
子どもを産まないという選択をすれば、
性による差別という問題は生じません。
実際に子どもを産まないという選択をする女性もいます。
しかし、子どもを産むことは、セクシャルヘルス/ライツを構成する権利です。
社会的活動の制約から自由となるために、
セクシャルヘルス/ライツを放棄せざるを得ない状況は、
セクシャルヘルス/ライツの侵害です。
労働の問題はセクシャルヘルス/ライツとも密接にかかわる問題です。

女性が産む性であることは、
女性の労働参加に不利に作用してきました。
産む性であることによる差別を認めない、
差別をなくしていく。
これが女性として求めていくことの基本です。
しかし、実際は何をどのようにすればよいのか、
むつかしい問題があります。
大阪大学の近藤滋氏は、エッセイ「共同さんかく、応募のしかく、ごかくの評価は得られるか?」を書いています。
男性ですし、フェミニスト活動をなさっている方ではありません。
エッセイは大学教員人事を想定して書かれたものでしょうが、
おもしろいなと思ってツイートで紹介したことがあります。
近藤氏は妊娠・出産が女性のキャリア形成に不利になっている現実を認めた上で、
それが不利にならないようにするにはどうすればよいかを考えています。
女性の生物学的性が社会生活の上でマイナスに作用している、
という現実から出発することは大切な視点だと思います。

女性の健康の包括的支援に関する法律と女性の労働

 
女性が妊娠・出産する性であることが、女性の労働参加に不利に作用していると書きました。
女性は妊娠・出産するだけでなく、生理があります。
生理や生理痛も女性の労働参加に不利に作用するかもしれません。
私は近藤氏と同じく、それは現実なのだからそのことが不利にならない社会にしていくことが大切と考えます。
この考えを真っ向から否定しているのが、女性の健康の包括的支援に関する法律なのです。
女性の健康の包括的支援に関する法律は、
社会を変えようとするのではなく、女性の生物学的現実を変えようとします。
具体的に書いてみましょう。
生理痛のため数日間就労が困難な女性がいるとします。
それは女性であるための生物学的現実です。
この生物学的現実によって女性が不利益を被らない社会に変えていこう、
と考えるのが私の考えです。
一方、社会は変わらなくても、女性が生理痛を克服すればよい、
というのが女性の健康の包括的支援に関する法律なのです。
 
この2つの考え方の相違は、今に始まったことではありません。
1年数ヶ月前のツイッターの会話を収録してみましょう。

上のツイートは、対馬医師の病院に勤務していた女性が理事長を務めるNPOのツイートです。
このツイートをめぐって以下の会話がなされました。






上の会話は、女性が抱えている現実に対して、社会が適応するのか、女性が適応するのかという問題です。
このNPOの女性が適応すべきだという主張は、さらにエスカレートしていきます。



 
 動画の中では、
「男女平等!女性も社会進出したい!私の能力を認めて!女性だってできる!そういう時代は十分築き上げて来れたと思う」
と語られています。
耳を疑いましたが、やはりそのように語られています。

女性の健康の包括的支援に関する法律は、これを支持している女性もたくさんいるようです。
しかし、それは決まって地位もあり経済的にも恵まれた女性名士です。
現実の日本では、多くのと言うかほとんどの女性が、女性という性のために労働参加において不利益な条件を強いられています。
女性名士たちは、そのことを知らないのでしょう。
 

日本の女性を裏切る「女性の健康の包括的支援に関する法律」


なぜ今、「女性の健康の包括的支援に関する法律」の制定が目指されているのでしょう?
アベノミクスは女性の活用を図ろうとしています。
女性の活用を進めるには、社会が女性の現実に適応する必要があります。
しかし、社会が女性に適応するとなると、企業の労働力コストは上がります。
企業の労働力コストを上げずに女性の活用を図りたいというのが、企業の本音です。
社会が適応するのではなく女性が適応してくれた方がありがたいのですが、
露骨にそう言うわけにもいきません。
そこで「女性医療」が意味を持ってきます。
女性が生物学的に持っているハンデを「克服できる」ようにサポートするのが、「女性医療」です。
もちろん、「女性医療」にそんな魔法ができるわけありません。
しかし、「女性医療」は女性のハンデ克服に役立つと幻想を振りまく役割が期待されています。
その幻想により、社会が適応すべきだという圧力をかわすことができるからです。
女性が生きにくい社会の仕組みがあります。
それが変わらなければ「女性が輝く」社会は実現しません。
この女性の願いを幻想により押さえ込もうとするもの、
それが「女性の健康の包括的支援に関する法律」です。
だから、私は「女性の健康の包括的支援に関する法律」に反対です。
 
関連記事女性の健康の包括的支援に関する法律について
似非科学に立脚する「女性の健康の包括的支援に関する法律」
アベノミクスと「女性の健康の包括的支援に関する法律」(本記事)
仮題:懐柔されるフェミニスト達。近日公開予定

 

2014年9月4日木曜日

似非科学に立脚する「女性の健康の包括的支援に関する法律」

安倍内閣と似非科学の親和性


科学に政治が介入し災禍をもたらした例として、
スターリン政権によるルイセンコ学説の採用があります。
スターリン政権にとってルイセンコ学説の魅力は、
農業生産を飛躍的に増大させる可能性のある学説だったからでしょう。
アベノミクスを掲げ経済再生を目指す安倍内閣は、
革新的政策を採用していると評価することもできます。
しかし、その一方であやしげな学説を取り込んでしまうリスクも持っています。
安倍首相はイデオロギー性の強い政治家であり、
安倍首相と政治理念を共通にするグループが重用される傾向が見られます。
イデオロギーは思いであり、科学ではありません。
イデオロギー性の強い政治家では、往々にして思いが優先され、
科学の論理が軽んじられる傾向が見られます。
その典型的な例が下村文部科学大臣です。
下村文部科学大臣と似非科学との関連については、
すでにさまざまな指摘がなされていますので繰り返しません。
安倍内閣は再生医療を成長戦略の一つの核として位置づけています。
安倍首相、下村文科相がSTAP論文に注目したのは、
当然のことです。
そこまでは何の問題もありません。
問題は、STAP論文疑惑が表面化してから後の問題です。
STAP論文の処理は、現在も迷走を続けています。
この迷走により日本の科学技術の信用が損なわれ、
甚大な国益毀損が生じています。
STAP論文疑惑の処理が迷走したことについて、
文科省と下村大臣に責任のあることは明らかです。
科学の論理よりも思いが優先したのではないかとの疑念は拭えません。
政治が科学に介入すると、
小さな介入であっても甚大な影響が生じます。
ルイセンコ学説にしてもしかり、
STAP論文処理にしてもしかりです。
似非科学に毅然とした対応を取れない政治のリスクが、
安倍内閣にはあるように思えます。
STAP論文で不幸中の幸いは、
政府がSTAP支援を始める前に疑惑が表面化したことでした。
「女性の健康の包括的支援に関する法律」は、
似非科学の理念に立脚した内容です。
この法律が成立すれば、その影響は計り知れないものがあります。

似非科学としてのホルモン還元論


「女性の健康の包括的支援に関する法律」は、対馬ルリ子医師が主導しているものであり、
別稿で述べたように「対馬法」とも呼ぶべき法律です。
欧米や日本で性差医学の研究が進展しています。
男性と女性では罹りやすい病気が異なっていたり、
薬の効き目が異なっていたりします。
それを明らかにするのは科学研究です。
ところが、対馬医師は男女の違いは性ホルモンの違いであると主張します。
たしかに、男性と女性では性ホルモンは異なっており、
それによる違いがあるのは言うまでもありません。
ただこの言説は、本来の性差医学の概念をやや逸脱するものです。
女性は男性とは異なるホルモンを持っていることが性差であるとし、
女性医療という分野が必要だと主張します。
ここまでは強引な論理であっても、
医学思想として許容できるものです。
対馬氏によると、女性医療は年齢によるホルモン変動に着目することによって成り立ちます。
対馬氏の注目したのは、35歳後のホルモン量の減少でした。
そこで「プレ更年期」を対馬氏は提唱します。
35歳前後をピークにホルモン量が減少することは、
既知の科学的知見です。
35歳を過ぎると心身の不調が生じることについては、
科学的研究はないにしても経験的には知られていることです。
ホルモンの減少と不調の増加の間に相関関係があるかどうかを調べることはできます。
それを調べることは、科学的です。
対馬説の似非科学性は、
両者を因果関係として説明することです。
つまり、ホルモン量の減少によって、心身の不調が生じると説明します。
相関関係を因果関係として説明するのは、
疑似科学によくある特徴です。
もっとも、相関関係が見られる場合には、
因果関係が成立していることも少なくありません。
「プレ更年期説」は仮説としては成り立ちますが、
あくまで1仮説です。
私見では、対馬氏の「プレ更年期説」は有力仮説とは言えない代物です。
女性のホルモン量は加齢とともに減少します。
高齢者ではホルモン量は非常に低いレベルになりますが、
不快症状が頻発するわけではありません。
この点を対馬氏の「プレ更年期説」では説明できません。
1990年代にLeeの唱えたエストロゲン優位仮説の方がよほど有力です(黄体ホルモンレベルの低下がエストロゲンレベルの低下より著しいために生じる現象とする説)。
対馬医師の「プレ更年期説」は、似非科学の論理を取り込んだ独自の仮説に過ぎません。
似非科学の唱道者は、単に自説を開陳するだけと言うことはまずありません。
自説の有用性をアピールします。
いや、むしろ自説の有用性をアピールするために、
無理な理論が作り出されます。
対馬氏の「プレ更年期説」では、35歳から低用量ピルによるホルモン補給が推奨されます。
「プレ更年期説」と35歳からの低用量ピル推奨は、
ほぼ一体の関係にありました。
似非科学の論理でピルを推奨してきたのが、
対馬医師にほかなりません。

似非科学批判と似非科学擁護


「プレ更年期」の女性が抱えている心身の不調に対して、
ピルは効果があるのでしょうか?
答えは、YESです。
全ての女性に対して効果があるわけではありませんし、
いかなる症状に対しても効果があるわけではありません。
しかし、症状の改善する女性がいるのは事実です。
このことが、「プレ更年期」説の似非科学性が批判を免れてきた一つの理由です。

長年にわたり似非科学批判の活動を行ってきた医師にNATROM氏がいます。
NATROM氏は、「プレ更年期」説について、次のような発言を行いました。



宋美玄氏は「インチキ病名」と指摘し、NATROM氏は科学的検証のなされていないことを問題にしています。
NATROM氏の批判に対して、江夏亜希子医師が「プレ更年期」説擁護の立場から発言しています。
こちらを参照http://www.peeep.us/320c044e
縷々述べていますが、経験を正当化する言説となっています。
それに対して、NATROM氏は再度、個人の経験を越える科学的証拠はあるのかと問いかけています。
科学では、「STAP細胞はありま~す」と言うことには、何の意味もありません。
証拠を示せるのが科学であり、示せないのが疑似科学です。

なお、江夏亜希子医師は対馬ルリ子医師の病院に勤務した経験があり、
現在は性と健康を考える女性専門家の会の副会長です。


似非科学のもたらす災禍


対馬医師はピル普及の功労者です。
NPO法人OC普及推進事業団理事長氏も、
対馬氏の病院に勤務していたことがあり、
あやしい仕事をしていました。
対馬医師とその影響を受けた人々のピル普及活動には、
際だった特徴があります。
対馬氏の関心は「プレ更年期」を含む女性医療です。
女性医療の中にピルは位置づけられました。
避妊薬としてのピルではありません。
ピルユーザーの中で避妊ユーザーは減少し続け、
おそらく1999年のピル解禁時よりも少なくなっているでしょう。
「対馬法」である「女性の健康の包括的支援に関する法律」に避妊のヒの字も出てこないのは、
当然すぎるほど当然のことなのです。
海外でピルは切実な避妊要求を持つ若い世代の女性に支持される薬です。
対馬医師はそのピルをライフデザインドラッグとして位置づけ、
「プレ更年期」世代の女性などに普及させました。
その結果、ピルユーザーの過半は30代以上の女性という、
恐るべき状況となってしまいました。
なぜ恐るべき状態なのでしょうか?
35歳を過ぎると副作用による血栓症リスクは高くなります。
40歳を越える女性に対しては相対禁忌となっています。
対馬氏による女性医療では、このリスクの高い女性にピルが処方されることになります。
私は日本の40歳以上の女性について血栓症発症率を試算してみました。
私の試算では、600人に1人が血栓症を発症しています。
参照 600人に1人が血栓症に--40歳以上のピル服用について試算
600人に1人です。
副作用の報告漏れがあることを考えれば、
実際はこれよりももっと高い頻度でしょう。
600人に1人は1年間当たりの数値です。
2年、3年と継続した場合はもっと高い確率になります。
とてもではありませんが、安全な薬とは言えません。
ピルは本来非常に安全性の高い薬です。
ところが、女性医療の中に位置づけられると、
たちまち危険な薬に変わってしまいます。
ピルを危険な薬にする活動を続けてきたのが、
対馬氏とその支持者です。
その結果、ピルの普及率は2008年頃をピークに下降に転じています。
現時点では、1999年のピル解禁時に近い水準まで落ち込んでいると思われます。
対馬氏の「プレ更年期」説や女性医療は、
現実的にはすでに破綻しています。
破綻した対馬説を国家公認の説にして挽回を図ろうとするのが、
「女性の健康の包括的支援に関する法律」に過ぎません。
もし、この法律が成立すると、
累々たる被害者の山を築いた対馬説が国家規模で展開されることになります。
国家と結びついた似非科学の危険性を日本の女性が身を以て体験させられる、
そんな事態は絶対回避しなくてはなりません。
だから、私は「女性の健康の包括的支援に関する法律」に断固反対なのです。

関連記事
女性の健康の包括的支援に関する法律について
似非科学に立脚する「女性の健康の包括的支援に関する法律」(本記事)
アベノミクスと「女性の健康の包括的支援に関する法律」
仮題:懐柔されるフェミニスト達。近日公開予定

2014年9月1日月曜日

女性の健康の包括的支援に関する法律について

法案の作成過程


本年1月、自民党政務調査会に女性の健康の包括的支援に関するプロジェクトチームが置かれました。
このプロジェクトチームは、対馬ルリ子医師の働きかけで作られたものです。
同氏のブログには、以下のように記されています。

1.自民党の政務調査会(政調)の「女性の包括的健康支援に関するPT(プロジェクトチーム)」会議が、1月から3月まで7回、終了しました。私たちの働きかけによってできた政調の10個あるPTのうちのひとつで、高階恵美子さん(参議院議員、看護師保健師さん)がリーダーになって、女性の一生涯の健康を包括的に支援するにはどうすべきかを検討しています。今の日本は何が足りないのか、何が問題なのか、海外ではどうなっているのか、今後どのようにしていけばよいのか等について、女性医療ネットワークと、連携している人たちから、意見を述べさせてもらいました。今後、高市政調会長に報告をあげ、あとは安倍総理がどのように政策に生かしていただけるのか。ということになります。楽しみです。

女性の健康の包括的支援に関する法律は、実質上「対馬法」とも言えるものです。
3月28日には「女性の健康の包括的支援の実現に向けて<3つの提言>」がまとめられました。
4月1日には党の文書として公表されました。
同文書には7回のヒアリングの日時と内容が記されています。
また、出席団体として、5団体名が記されています。
6月17日には高階恵美子外3名による議員立法として参議院に提出されました。
議案は継続審議となりました。

女性の健康の包括支援法への期待と懐疑


「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」は6月17日に提出され、継続審議となりました。
「女性の健康の包括的支援に関する法律」を支持する活動も盛んに行われています。
週刊金曜日のサイトは、「自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、女性の健康包括的支援へ」と題する以下の記事を掲載しました。

【政党】自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、女性の健康包括的支援へ 4月1日
 自民党は1日、同党「女性の健康の包括的支援に関するプロジェクトチーム(PT)」(座長・高階恵美子参院議員)がまとめた「女性の健康の包括的支援の実現に向けて〈3つの提言〉」を公表した。
 女性の生涯にわたる健康という視点からの包括的支援が十分に行なわれていなかったことからPTを立ち上げ、今年1月から7回にわたり有識者や団体からのヒアリングや議論を重ねてきた。提言では、女性の健康支援に向けた教育・養成プログラムの改革、女性総合診療という新たな専門分野の確立、DV対策の充実のほか、安全な出産環境を整備することなどを盛り込んだ。今後、提言を基に議員立法として法案提出を検討する。
 高階座長らは7日、首相官邸を訪ね安倍晋三首相に提言書を手渡した。安倍首相は「この中に知恵がある」と述べ、来年度の予算編成に向け、提言を参考にする考えを示した。かつて、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを否定し、性教育攻撃を行なっていた同党の山谷えり子参院議員らと性教育バッシングのシンポジウムを開催した安倍首相だが、「女性活用」のために考えを改めたのだろうか。


自民党は改心して、女性のための法律を作る事にしたのでしょうか。
よからぬ企みほど、きれいな言葉で飾られます。
きれいな言葉に惑わされ、よからぬ企みに協力してしまう善意の人も出てきます。
想い出して下さい。
子宮内膜症患者の支援と銘打って、ピルの保険適用がなされました。
しかし、実際は缶コーヒー1本ほどの値段のピルのラベルを貼り替えて、7000円にしてしまいました。
この法律が女性にとって有益な法律なのかどうか、冷静に考えてみる必要があるでしょう。

誤解の原因


 「女性の健康の包括的支援」と銘打つならば、性の自己コントロールが重要な柱として位置付くと考えられます。
週刊金曜日もそのように考えるから、「自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、・・・」とタイトルを付けています。
しかし、この「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」には、避妊のヒの字も出てきません。
それは偶然ではありません。
この法案には、「性差医学」を「女性医療」と読み替える日本的運動が深く関わっています。
「女性医療」運動とは何か、から見ておく必要があります。

 性差医学と性差医療(女性医療)


1990年代のアメリカでGender-Specific Medicineが提起されました。
Gender-Specific Medicineは、性差医学とも性差医療とも訳すことができます。
しかし、元々は性差医学です。
性差医学のための病院も作られますが、
それは医学研究の医学部と付属病院の関係と同じです。
性差医学(とそれに付随する性差医療)は医学研究の潮流であり、
立法や政治にはなじまない問題です。
日本の性差医学の草分けは天野恵子医師です。
性差医学・性差医療の必要性を天野医師へのインタビュー記事で確認しておきましょう。
天野医師は性差医学と性差医療の関係をしっかり認識しておられるのですが、
あえて違いを強調しないとのお考えのようです。

女性医療の登場


性差医学と性差医療(女性医療)の関係が曖昧な間隙を縫って、
日本では女性医療という潮流が生まれてきます。
よりよい医療を望む女性の願いを逆手に取り、
複数の政治家により性差医療で女性の医療条件が改善するかのような幻想が語られます。
2000年前後のことです。
このような流れの延長線上にあるのが、
対馬ルリ子医師による性差医療としての「女性医療」です。
性差医学の研究は、疾病リスクや薬剤の効果などに性による差異があることを明らかにしました。
しかし、それはむしろ例外的な差異であり、性を越えた同一性がベースになっています。
したがって、性差医学の提起するところは、医療において性差の観点を考慮しようというものです。
これなら誰も異存はないでしょう。
このような医療は取り立てて【女性医療】という必要のないものです。
対馬ルリ子医師のユニークな点は、
女性医療ネットワークなるNPOまで立ち上げ、
【女性医療】という領域を作ろうとしたことです。

不確かな女性医療の必然性


性差医学は女性に対する医療の質を向上させます。
女性に対する医療が性差医学の知見を取り入れれば、
女性が受ける医療の質は向上します。
しかし、そのことと女性医療を分離すべきだという考えは、
必ずしも結びつくものではありません。
Gender-Specific Medicineと同時に注目されるようになったのが、Race-Specific Medicineです。
人種差の医学です。
人種差の違いに配慮した医療は、医療の質を高める可能性があります。
しかし、黒人医療が必要という人もいなければ、
黒人専用病院が必要という人もいません。
生物学的な差異が強調されすぎると、
医療における差別を引き起こしてしまう可能性があるからです。
生物学的決定論は、社会的文脈の中で恣意的解釈を生む危険を内包しています。
わが国の女性医療運動の特異性は、
女性に対する医療の分離を主張することです。

 

プレ更年期説のもたらしたもの


ピル解禁から5年後の2004年、ピル政策は大きく転換し避妊薬ではなくライフ・デザイン・ドラッグとして位置づけられます。
この政策転換と表裏一体の関係にあるのが、女性医療運動であり、「プレ更年期」説でした。
女性の身体変化はホルモン変動によって説明され、
このホルモン変動をコントロールすることでトラブルを避けることができると説明されます。
ピルがライフ・デザイン・ドラッグとされる所以です。
対馬医師によると、35-45歳の女性はホルモン量の減少が見られる「プレ更年期」であり、
低用量ピルでホルモンを補充することが推奨されました。
年齢の高い女性へのピル推奨は医学常識を逸脱するものです。
ピルが避妊薬である時、ピルユーザーのピークは20代の女性です。
ところが、日本では「プレ更年期」対策としてピルが推奨されたため、ピルユーザーの過半は年齢の高い女性となりました。
その結果、日本では世界のピル史上最悪の副作用被害が生じました。参照 35歳からのピル(「プレ更年期」のピル療法について)

女性の健康の包括的支援に関する法律に受け継がれる生物学的女性観


女性の健康の包括的支援に関する法律には、
「女性の健康についてはその心身の状態が人生の各段階に応じて大きく変化するという特性に着目した施策を行うことが重要」と規定しています。
この法律が、対馬医師の思想、女性医療運動を具現化したものにほかならないことを示しています。
上述したように、対馬医師は「プレ更年期」説を唱え、
「プレ更年期」の女性にサプリのようにピルを服用することを奨めたのです。
「サプリのように」は、比喩的に述べているのではありません。
彼女の著書の中に書かれている言葉です。
40歳以上の女性に対してピルは相対禁忌です。
その年齢層の女性にピルが奨められた結果、
ピル史上空前の副作用被害が生じました。
このことについて、対馬医師は反省と謝罪を表明するのが先だと思うのですが、
かえって国家レベルで推進しようとしています。
対馬医師の言説により副作用に苦しんだ、あるいは亡くなった女性がいる事を思うと、
この法案に賛同することは決してできません。
対馬医師のホルモン還元主義的女性観は、
 女性を生物学的特性からとらえるものです。
法が上記のような規定を行うことは、
女性を生物として扱うと宣言したようなものです。
たとえそれが立法者の善意に出るものであれ、
女性を生物学的特性からとらえれば、
女性の生き方を国が規制することに繋がるでしょう。


誰が誰を支援するのか?


法律案の中には、「支援」の語が36回使用されています。
この「支援」の主語はきわめて曖昧なのですが、
法律なので常識的には【国が支援する】という意味に解されます。
誰を(何を)支援するのかも明確ではありません。
誰が誰を支援するのか、不明確な法律なのですが、
少なくとも女性が支援される存在であることは明らかでしょう。
女性が生物学的な存在であるならば、
支援は意味があることかもしれません。
私は日本の女性に対する医療の遅れは、
そのような問題ではないと考えています。
1970年代のリブ運動を契機として、
女性医療は、そして全ての分野の医療も、パターナリズムを脱していきました。
自立的な女性とそれを支援する医療という関係ができてきました。
ところが、日本ではそのような関係が構築されませんでした。
現代社会は複雑な構造を持ち、それぞれの女性の持つ背景やニーズはさまざまです。
女性を取り巻く環境の変化とパターナリズムの齟齬が、
日本の女性に対する医療の基本的問題としてあると考えます。
女性は支援されるべき存在ではなく、
自助が励まされる存在でなくてはならないと考えます。
法律案が生物学的女性観に立つのであれば、
それは日本の女性医療をパターナリズムに押し留めるものです。
法律案に避妊のヒの字もないのは偶然ではありません。
性の問題は、個々人により抱えている問題がそれぞれ異なり、
女性自ら主体として解決していく問題です。
生物学的女性観に立つ【支援】は、
女性の自立となじまないのではないかと思います。

医療資源の分配


法律案には「女性の健康の包括的支援に関する施策を総合的に推進することを目的とする」と書かれています。
立法の経緯から考えれば、これは「女性医療」を行う病院を行政が支援することを意味していると考えられます。
ここで考えておきたいことは、女性に対する医療の現状です。
女性がかかりつけの産婦人科を持つことが推奨されることがあります。
しかし、そのようなゼイタクが許されている国はどこにもありません。
日本でも実現不能です。
産婦人科医の都市集中は今も進行中です。
田舎では、産婦人科医に通うのが1日仕事になる地域も少なくありません。
「女性医療」を行う病院は都市部で可能であっても、
全ての女性が享受できるものとはなりません。
この現状を変え、女性に対する医療の全般的質を高めていくためには、
むしろ家庭医制度を充実していく方が効果的でしょう。
これまでも日本では女性医療を産婦人科医が囲い込んできました。
その端的な例がピルの処方です。
ピルの普及している国で、産婦人科医だけがピルを処方している国などどこにもありません。
ピルを処方するのは、家庭医であったり、資格を持つ看護師であったりします。
まさにかかりつけ医が女性の健康に関与しているのです。
性差医学の知見が家庭医にも共有されれば、
女性の医療はさらに向上することが期待できます。
女性の健康の包括的支援に関する法律の目指しているところは、
女性医療の囲い込みをさらに促進しようとするもののように思えます。
それが日本の女性の健康に寄与することになるのか、
疑問に思わざるを得ません。

幻想の中の「女性の健康の包括的支援に関する法律」


「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」は具体性が乏しく、
何がどのように変わるのか見えにくいものになっています。
法案作成過程では、薬剤中絶法の問題なども取り上げられ、
女性のリプロヘルスライツに寄与する法律であるかのような幻想が生じました。
しかし、私の見るところではそれは単なるパフォーマンスに過ぎません。
この法律案は、何を課題と考え、どのように解決しようとしているのか、
全く見えない法律案です。
私はこの法律案に塵ほどの期待も持っていません。
そのよって立つ女性観・医療観は陳腐なまでに旧態依然たるものであり、
進もうとしている方向は現状の問題をさらに悪化させるもののように思えます。




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上記は6月に作成したブログ原稿に手を加えたものです。
公開しても理解していただけないかもと思い、
お蔵入りさせていたものです。
関連ツイートを以下に収録します。