2014年9月10日水曜日

町の女性保健室は必要ないですか?

一面の真実


がんナビのサイトに、
子宮頸がん国際会議レポート(3)子宮頸がん検診の受診率を高めるために日本は何をすべきか
という記事があります。
「欧米では健康教育にかかりつけの産婦人科医や母親が重要な役割」、「欧州では性経験の有無に関わらず、産婦人科医に行く習慣がある」、「世界で子宮頸がんを知るキャンペーンが盛り上がる」という内容です。
実態を調査したわけではなく、筋書きは欧州の産婦人科医のインタビューをつなぎ合わせた物となっています。
記事では、「何歳から、産婦人科医の診察を受けているか」の調査結果と、女性の初体験の平均年齢から、
「性体験のないころから、かかりつけの産婦人科医がいて、診察や検査を受けるのが当たり前のように考えられている」との結論が導かれています。
かなり強引というか、非論理的です。
さらに、それを補強する事例として、母親と一緒に14歳で産婦人科を受診した女性キャロル・スカール氏(42歳)の話が出てきます。
日本の産婦人科医の夢物語をなぞったような内容になっています。
おそらく、記者は欧米の産婦人科病院に行った経験が一度もないのでしょう。
ほぼ例外なく予約制で、診療は時間をかけてゆったり行われます。
もし、ほとんどの女性に掛かり付け産婦人科医がいて、特に用事はないのに受診するのだったら、1年が1000日以上あっても間に合いません。
それは日本でも同じです。
日本の産婦人科病院は今でも混雑しています。
ほとんどの女性が産婦人科を掛かり付け病院にするようになったら、すぐにパンクしてしまいます。
まして、14歳の娘と母親が「生理が始まりました」と受診すると、
産婦人科医はどう対応していいのか戸惑うでしょう。
事情は、日本も欧米もほぼ同じです。
記事に書かれていることは、デタラメではありません。
ただ、それは一面の真実であるように思います。
欧米で子宮癌検診の受診率が高い理由を十分に説明していないように思えます。

歴史の分かれ目となった1970年


上の記事にキャロル・スカール氏(42歳)のことが出てきます。
彼女のお母さんは現在60歳代と推測できます。
お母さんがティーンエイジャーだった頃、ピルが認可されます。
そして、10年後の1970年には20歳代になっていたでしょう。
お母さんの世代の女性は、ピル第1世代であるとともに、
女性の健康サービスの第1世代でした。
欧米で中絶が合法化されるのは、1970年代です。
中絶が非合法であった時代、女性にとって避妊は現代人が想像できないほどの重大事でした。
そのような時代にアメリカでは1つの法律が成立します。
PUBLIC LAW 91-572-DEC. 24, 1970(英語)です。
一般に、「避妊サービス及び人口研究法(人口研究と自主的避妊プログラム)」と呼ばれます。
1970年、米国上下院の全員一致で成立した「避妊サービス及び人口研究法(人口研究と自主的避妊プログラム)」は、避妊だけに止まらないで、女性の健康全般に寄与する歴史的な法律となりました。
この法律では、低所得者などへの避妊サービスの提供が規定されました。
タイトル・テン(Title X)と呼ばれます。
タイトル・テンについて、米国厚生省のサイトは以下のように説明しています。


For more than 40 years, Title X family planning clinics have played a critical role in ensuring access to a broad range of family planning and related preventive health services for millions of low-income or uninsured individuals and others.




40年以上にわたって、タイトルテン指定の家族計画クリニックは、低所得あるいは無保険の人々などに対する広汎な家族計画と関連する予防医学サービスへの確実なアクセスにおいて、決定的に重要な役割を果たしてきました。

 

家族計画クリニックは避妊サービスを中心にしながらも、実際は性感染症予防や子宮癌・子宮頸がん・乳癌検診など性に関する広汎なサービスを提供しました。
また、もともとは経済弱者の女性を対象とするものでしたが、女性に限らず、また在学中の生徒・学生に対してもサービスを提供しました。
タイトル・テンの家族計画クリニックは、学校の保健室に対して町の保健室と呼びうる存在でした。
この法律のできた1970年は、第1次ピル恐慌の年でもありました。
リブ運動が盛り上がっていた時代背景もあり、家族計画クリニックでは自分の身体を自分で守る女性を応援する丁寧な対応が取られました。
ここに自分の身体は自分で守るという女性とそれを支援する医療の関係が生まれました。
このような動きはアメリカに限らず、日本を除く先進国に広がりました。
キャロル・スカール氏のお母さんはフランス人と思われますが、
女性の意識変容はアメリカよりも大きなものがありました。
タイトル・テンが作ったものは単なるクリニックではなく、女性の学校だったのです。



日本に町の保健室が出来なかったわけ


町の保健室としての家族計画クリニックのような施設は、またたく間に先進各国に広がります。
日本だけがその埒外にありました。
その理由は明白です。
アメリカの1970年「避妊サービス及び人口研究法」は、突然作られたものではありません。
アメリカでは女性の権利を守る避妊運動が、すでに大きな社会運動になっていました。
この社会運動が女性の熱い支持を得ていたので、
1970年法に反対する議員は1人もなく全員一致で可決されました。
またすでにピルがメインの避妊法となっていました。
ピルは他の避妊法と異なり、きめ細かなサポートを必要とする避妊法です。
ピル初心者の若者にきめ細かなサポートをするには、
従来の産婦人科病院のシステムでは困難があると気づかれていました。
さらに、女性達は避妊の医療化の問題に気付き始めていました。
ピルのボストン茶会事件では、医療の指示に従うだけの避妊が問題とされ、
女性の主体性の回復が課題として示されました。
このような諸背景は先進諸国に共通するものだったので、
町の保健室はまたたく間に広がったのです。
一方、日本は全く事情を異にしていました。
日本では1950年代から国策として家族計画運動が展開され、
社会運動としての避妊運動は消滅していました。
国策家族計画運動を主導した家族計画連盟は、
ピル認可反対の急先鋒でした。
ピルもない民間の社会運動もない日本では、
町の保健室など思いもよらないものだったのです。
1970年当時、日本の避妊法はペッサリーからコンドームに変わっていました。
日本には、女性が性を通して女性の主体性を考える条件がありませんでした。
1970年当時に限れば、自分の身体を守るという意識で、
日本の女性と欧米の女性とでは大きな違いはなかったかもしれません。
しかし、40数年の歳月を経て、その差は決定的に大きな差となりました。
産婦人科の敷居の高さの差、子宮頸がん検診受診率の差は、
40年の積み重ねであるように思います。
キャロル・スカール氏のお母さんは、14歳の娘を産婦人科に連れて行きました。
啓発すれば日本の女性もそのようになるでしょうか?
私は懐疑的です。
40年間、町の保健室が発信してきた文化があります。
その文化は、女性達の語りと経験の交流と専門家のアドバイスが融合した文化です。
その文化は、町の保健室から町全体、国全体に広がり、
女性達の確信を形成しています。
このように考える私は、啓発主義に懐疑的です。

町の保健室は女性の人権センター


性差医学という医学思潮があります。
女性と男性では、病気のリスクが異なったり、薬の効き方が異なったりします。
それを研究するのが性差医学です。
性差医学研究を進めるための、あるいは応用するための病院があります。
女性医学のための病院です。
このような病院は女性の医療の進歩に役立つでしょう。
(以上は、日本の一部の医師が提唱している独自理論の女性医療について述べたものではありません)
Veterans Affairs Medical Center, Women’s Clinic, Philadelphia, Pa. (Array Architects)


一方、避妊クリニックから発展してきた女性のための病院があります。
町の保健室です。
タイトルテンによるクリニックは、単なる避妊クリニックではなく、性感染症、女性腫瘍、性自認などにカバーを広げていきます。
それは偶然のことではありません。
このクリニックの理念が、リプロダクティブヘルスライツだったからです。
避妊はリプロダクティブヘルスライツの核心です。
タイトルテンのクリニックは、避妊を通して社会的弱者のプロダクティブヘルスライツにかかわりました。
避妊、特にピルによる避妊には、学習が必要です。
タイトルテンのクリニックは、女性の意識を変える学校でもありました。








日本循環器学会等は、「循環器領域における性差医療に関するガイドライン」を策定しています。
女性の虚血性心疾患は閉経後に急増し、しばしば非典型的症状を示します。
これは性差医学が明らかにした知見です。
性差医学は女性の疾病診断や治療に役立つでしょう。
しかし、だからといってリプロダクティブヘルスライツの前進に繋がるものではありません。
女性の性差特性を考慮した診療を行う病院が出来たとしても、
リプロダクティブヘルスライツの前進に繋がるものではありません。
性差医学がリプロダクティブヘルスライツの前進に役立つと言い張っているのは、
日本の一部の産婦人科医だけです。
欧米で、そして現在開発途上国で、女性のリプロダクティブヘルスライツの前進は、避妊相談を核とする活動でもたらされてきました。
日本では、「ピルは避妊薬というよりライフデザインドラッグだ」と考える産婦人科医がいます。
そのような産婦人科医が考えたのが、性差医療の推進をうたう「女性の健康の包括的支援法」です。
この法が成立し、「女性医療」の病院ができても、
それは町の保健室ではありません。
町の保健室になる事もありません。
それどころか、町の保健室が作られる願いを妨害するものです。








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      ※(正)課題  (誤)仮題

   ※(正)向上   (誤)工場

「女性の健康の包括的支援法」の対案としての町の女性保健室

 
人権は政府に守ってもらうものではありません。
人権は医師が守ってくれるものでもありません。
人権を守るのは、社会運動です。
人権を守る社会運動を国家は支援する、このような関係にあると私は考えます。
欧米におけるリプロダクティブ・ヘルス・ライツの発展は、
そのような関係で成し遂げられたと考えています。
日本にはそれが欠けていました。
あるにはあるのですが、十分とは言えない状態だと思います。
今すぐ、町の女性保健室はできないかもしれません。
しかし、必ず出来ますし、作らなくてはいけません。
「女性の健康の包括的支援法」ができても、
女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツを守ることは永遠にできません。
今、できないものを「できる、できる」と宣伝しています。
幻想を振りまいているのです。
「女性の健康の包括的支援法」が成立してからも、
幻想が振りまかれ続けるでしょう。
その状態は最悪です。
女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツを守る核が永遠に失われます。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを前進させる町の女性保健室を目指すべきだと思います。





町の女性保健室は必要ないですか?(本記事)
仮題:懐柔されるフェミニスト達。近日公開予定

 

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