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2013年6月14日金曜日

イドラの中の女性器切除、そして







女性器削除は未開社会で広く存在した風習です。現在ではアフリカなどに残っており、女性の人権に対する重大な侵害として、その風習を根絶する国際的な取り組みが行われています。
女性器削除の野蛮な風習が残る社会に生きている女性の中に、この風習と立ち向かう女性が現れています。しかし、その中で生きてきた女性達はその理不尽さに気づきませんでした。
現在、先進国は避妊・中絶・出産に個人負担をなくす大きな方向で進んでいます。しかし、日本で中絶費用の個人負担をなくそうという提案がなされたら、大反対されるでしょう。そんなことをすれば、安易な中絶が増えると多くの人が考えます。その考えの中に、罰としての中絶という思想が含まれていないでしょうか。緊急避妊薬ノルレボは多くの国でドラッグストアで処方箋なしに買える薬になっています。ところが日本では、「適正使用」の名の下に、「乱用防止」策が考えられています。ノルレボが簡単に使えるようになれば、女性の性に抑止力がなくなるとの考えが見え隠れします。妊娠という罰で性行動を抑止しようとする考えと言えるでしょう。日本はアフリカほど野蛮な方法はとられませんが、罰で女性の性行動を抑止する思想で動いているように思えます。私たちの生きる日本の社会で、罰で女性の性行動を抑止する思想は当然のこととして男性だけでなく女性にも受け入れられています。それはイドラの中の偏見ではないかと思います。

2013年3月5日火曜日

聖処女幻想の国(4)「峠の我が家」考

誰でも知っている歌に「峠の我が家」があります。
これはもともとアメリカの民謡です。
日本では数種類の歌詞があるようですが、
タイトルはいずれも「峠の我が家」となっています。
「峠の我が家」の原詩と日本語歌詞の異同については、
さまざまに考察が行われています。
考察では、特に「峠」の訳が話題になっているようです。
しかし、原詩と日本語歌詞の決定的な違いについては、
言及されていません。

二木紘三のうた物語参照
ページ下部コメント欄も参照

日本語歌詞では一様にmy homeを「我が家」と捉えています。
しかし、原詩のmy homeは「我がふるさと」であって、
「我が家」ではありません。
1番から6番まである原詩は、
いずれもふるさとの情景を描いています。
my homeは1番と6番の歌詞にあります。
ざっと見てみましょう。
home where the Buffalo roam
牛がうろついているのは「我が家」ではなく、「我がふるさと」です。

That I would not exchange my home here to range
この平原をこそ私の変わることのないふるさとしたい(と思う)、
と言うことですからmy homeは、
「我が家」ではなく「我がふるさと」なのです。

1番から6番まである原詩のどこにも、
「我が家」のことはありません(原詩と翻訳参照)。
「我がふるさと」の歌が、日本では「我が家」の歌に変わっているのです。

私は「峠の我が家」を和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどと重なる家族の歌だ
と思っていました。
そしてこの歌を好きでしたし、今も好きです。
ところが、後にたまたまHome On The Rangeを聞きました。
「えっ、これは家族の歌でない」と驚いたのです。
歌詞を調べてみましたが、これは100%家族の歌ではありませんでした。
日本語の歌詞の作者もおそらく、
原詩がふるさとの歌であり家族の歌でないことを知っていたでしょう。
あえて、「我が家」の歌にしてしまったのではないかと想像しているのです。

「峠の我が家」の種々の訳詞がなされたのは1960年代前後です(ページ下部追補参照)。
元の詩を忠実に訳して「我がふるさと」の歌にしていたら、
この歌は人々に愛されることはなかったでしょう。
その頃、和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどのイメージを家族は持つようになっていました。
人々の持つ家族についてのイメージを取り込んだので
「峠の我が家」は広く受け入れられたのではないかと思います。

私は小学校の5年生の夏休みに「次郎物語」を読みました。
いや、読まされました。
なぜ「次郎物語」を読まされたのか、未だに不明です。
私にとって「次郎物語」の世界は全く異次元の世界でした。
その家族には、
和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどの要素がないのです。
それはかなりショッキングな世界で、
読むのが苦痛だったことを覚えています。

1960年代だからこそ、「峠の我が家」は受け入れられたのではないかと書きました。
そう書いたのは、あの「次郎物語」の時代には、
「峠の我が家」は決して受け入れられなかっただろうと確信できるからです。
「次郎物語」の世界と「峠の我が家」の世界は、
余りにもかけ離れています。
「次郎物語」の時代の家族から「峠の我が家」の時代の家族へ。
この変化は徐々に進行したのではありません。
農地改革と家族計画が日本に「峠の我が家」を出現させました。

日本の戦後の家族計画運動は空前規模の産児制限運動であり、
その成果は人類史上例を見ないほどです。
(中国の一人っ子政策や開発途上国の産児制限運動のモデルとなりました)
戦後の家族計画運動は新しい家族像を提示するものでした。
夫婦が2人の子どもと明るい家庭を築く。
これは「次郎物語」の家族像とはかけ離れており、
「峠の我が家」の家族像です。
息苦しい「次郎物語」の世界から解放するものが、
家族計画でした。
これが家族計画運動が成功した大きな要因の一つです。
この解放をもっとも歓迎したのは女性達でした。
追補
「峠の我が家」は戦後の歌と思い込んでいました。
ところが、それは誤りで1940(昭和15)年、
佐伯孝夫訳詞の「峠の我が家」がリリースされていました。
その歌詞は、以下のようになっていました。

「なつかしや 峠の家
木々の みどり深く
朗らかに 人は語り
青き空を 仰ぐ
あゝ 吾が家
帰りゆく 日あらば
谷水に のどうるおし
けもの追いて 暮さん」

この歌詞はふるさとを回想するというもので、
文部省唱歌「ふるさと」と同じ趣向です。
唱歌「ふるさと」の刷り込みが作用しているように見えます。
「我が家」は懐かしいものであっても、
和やかな暖かみのある「家族」は読み取れません。

他の「峠の我が家」は1960年代前後と推測しています。
1961(昭和36)年NHK 「みんなのうた」で、
中山知子訳詩の「峠の我が家」が紹介されました。
岩谷時子氏、久野静夫氏、滝田和夫氏の「峠の我が家」も、
それと前後する時期ではなかったかと思います。
岩谷時子訳の「峠の我が家」は教科書に出ていたとのことで、
普及したようです。
その歌詞は以下のようになっていました。

あの山を いつか越えて
帰ろうよ わが家へ
この胸に 今日も浮かぶ
ふるさとの 家路よ
ああ わが家よ
日の光かがやく
草の道 歌いながら
ふるさとへ帰ろう
あの山を 誰と越えて
帰ろうか わが家へ
流れゆく 雲のかなた
ふるさとは 遠いよ
ああ わが家よ
日の光かがやく
丘の道 歌いながら
ふるさとへ帰ろう

我が家はワクワクする存在となっており、
「ああ わが家よ」と歌われています。
龍田和夫訳では、
「悲しみも憂いも無き 微笑みの我が家」
と歌われ、
藪田義雄訳では、
「ああ楽し 峠の我が家 うるわしき 明け暮れ」
と歌われています。
戦前の佐伯孝夫訳とは「我が家」の意味が変わってきているように思われます。
佐伯孝夫訳詞のタイトル「峠の我が家」の刷り込みと、
当時の「マイホームブーム」の刷り込みが重なり、
1960年代的「峠の我が家」が作られたのではないでしょうか。

聖処女幻想の国(5)に続く


(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)

2013年3月4日月曜日

聖処女幻想の国(2)けがの功名だった改名


アメリカ産児制限連盟(the Birth Control Federation of America)は、
1942年にthe Planned Parenthood Federation of Americaに改名します。
改名の理由は「産児制限」の名称が、家族否定との誤解を生じる事にあったようです。
サンガーは新名称についてローズ(D. Kenneth Rose)に相談します。
ローズは「産児制限」の名称を捨てて、
代わりに「Planned Parenthood」を用いるように提案しました。
この新名称についてサンガーは難色を示したと伝えられています。
サンガーは自らの造語である「産児制限」に愛着を感じていました。
(以上、Linda Gordon, Woman's Body, Woman's Right (New York: Grossman, 1974, 1976).参照)
 
 
parenthoodの意味は、「親であること」です(参照)。
参照ページには-hoodのつく言葉について解説されています。
1942年の時点でおそらくparenthoodという英語はなく、
ローズの造語であったのではないかと想像します。
少なくとも、ポピュラーな英語ではなかったでしょう。
とすると、なぜローズはわざわざparenthoodという新語を造ったのでしょう。
新名称が家族否定の誤解をなくすためであれば、
Planned ParenthoodではなくPlanned Familyでもよかったはずです。
Planned FamilyでなくPlanned Parenthoodとされた謎は残されたままです。
 
 
新名称Planned Parenthoodは、漠然とした概念です。
Planned Parenthoodへの改称後の活動内容をみると、
避妊に焦点化された活動から周辺領域に拡大しています。
たとえば、結婚教育・相談や不妊治療などです。
避妊についても、出産間隔を空けることを奨励しました。
当時、Planned Parenthoodの活動の担い手は男性になっていました。
彼らによるファミリーセンター化プログラムは、
公衆衛生政策とマッチし政治的反発を避けながら地域に浸透していきました。
Planned Parenthood概念の不明瞭さが、
活動範囲の広がりと関係していたように思えます。
 
 
活動範囲の広がりはいくつかの意味を持っています。
一つは、貧困層を対象とした活動から、全市民対象の活動への広がりです。
二つは、農村部を含めた全米的な活動への地域的広がりです。
三つは、リプロヘルス全般の活動への広がりです。
四つは、対象年齢層の広がりです。
五つは、対象の男性女性両性への広がりです。
 
 
この内、日本との対比で重要なのは、四つ目と五つ目です。
別エントリーで見るように、
日本の家族計画は既婚女性を対象としました。
一方、Planned Parenthoodは早くから婚前の男女を対象とし、
結婚相談などの活動をしていました。
戦後のアメリカでは婚前の性交渉が徐々に広がります。
そこに新たな避妊需要が生じていました。
それにすぐさま気づく体制が、
曖昧概念のPlanned Parenthoodにはできていたと言えます。
当時の主要な避妊手段はペッサリーでした。
ペッサリーは必ずしも未婚女性に適した方法ではありません。
若年層の避妊問題解決が課題となっていたので、
ピルは受け入れられるべくして受け入れられました。
 
 
Planned Parenthoodの名称は漠然性を持つと書きました。
この名称が採用された当時、婚前男女の性交渉はまれなことでした。
だから、この名称は漠然として不明瞭な概念でした。
しかし、時を経て婚前交渉が一般化して行くにつれ、
Planned Parenthoodは新たな意味を持つようになりました。
いつしか、Planned Parenthoodは「脱できちゃった婚」の意味を持つようになっていました。
こうしてPlanned Parenthoodは再び、Birth Controlの意味を持つようになりました。
 
 
以上、Planned Parenthoodの超簡略歴史を振り返りました。
「聖処女幻想の国」のテーマとは、直接関係ありません。
それでも、この話から始めました。
アメリカは聖処女幻想がもっとも希薄な国の一つです。
アメリカでは婚前交渉の広がりを現実として受け取り、
現実的な対応が取られました。
聖処女幻想が希薄な国・地域・階層では、
同様な現実的な対応が取られたように思えます。
聖処女幻想が希薄だから現実的な対応が取られたとも、
現実的な対応が取られたから聖処女幻想が希薄になったとも、
どちらにも考えられます。
私は後者、アメリカでは現実的な対応が取られたから、
聖処女幻想が希薄になったのではないかと考えています。
 
 
歴史的・民俗的な聖処女信仰と、
近代社会のそれが連続していることは否定しませんが、
そこには質的断絶があるように思えるのです。
近代社会における「聖処女」は「ふしだら少女」との対概念ではないか?
「ふしだら少女」イメージの対極として「聖処女」イメージはあるのではないか?
このように考えています。
未婚の性に対して現実的対応を取った国では、
「ふしだら少女」のイメージが膨らむことはなかったように思えます。
逆に現実的対応が取れなかった国では、
道徳的にコントロールする必要があり、
「ふしだら少女」イメージが作られたのではないかと考えます。
そして「ふしだら少女」は現実的存在でもありました。
イメージの、そして現実の「ふしだら少女」が、
反動として聖処女幻想を生み出すことになったのではないか。
このように考えているのです。
 
もしそうだとすると、Planned Parenthoodへの改称は、
多くの怪我の功名を生み出したことになりました。


 

聖処女幻想の国(3)に続く

(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)

2013年3月3日日曜日

聖処女幻想の国(1)蘇る聖処女幻想

10年あまり前、次の文章を書きました。
■性道徳について     ▼次へ/▲前へ /先頭へ
★かつてピル反対論者の本音は、ピルを解禁すれば性が乱れるというものでした。今でもそのような偏見を持っている方は、少なくないと思います。
★夫や恋人といった特定のパートナーと性的関係を持っていること、これを不道徳というのは、SEXそのものを否定的にしか見ることのできない特殊な方だと思います。私はそういう方を聖人として尊敬します。聖人は山にでも籠もって、仙人のような生活をしていてほしいものです。ところが、町に隠れ聖人が結構たくさんいるようなのです。これはタチが悪い。自分についてはぜんぜん聖人であることを求めないのに、女性に対しては聖人であることを求める輩です。女性が性的関心を抱くことさえ、快く思わないらしいのです。実は日本の男性には、程度の差はあれこの隠れ聖人が非常に多いように思います。もし、あなたがピルに躊躇する気分があるなら、自分の心の中のどこかに隠れ聖人が住んでいないか考えてみて下さい。そして、あなたが隠れ聖人であるなら、ぜひほんとうの聖人になって下さい。そしたら、あなたを尊敬してあげます。しかし、自分自身が聖人になれないのなら、女性にそれを押しつけるのは止めてほしいですね。女性が性的な関心を持つことは不道徳なことではないのです。


この文章は、「ピルとのつきあい方」開設後しばらくたったころに書いたものです。
当時、結婚前の女性が性経験を持つことは、
現在と同じほどに珍しいことではなくなっていました。
むしろ、当然のこととなっていました。
ところが、その現実を受け入れることのできない意識が、
親の世代にも青年世代にも、
男性にもそして女性にも残っていました。
現実に遅れて意識も変わっていくだろう。
当時、そのように考えていました。

しかし、この10年間の日本で、
意識は全く変わらなかったように思えます。
いや、それどころか、むしろ強まっているのではないかとさえ思えます。
現実離れした聖処女幻想が、
逆に現実を動かし始めているように思うのです。

性教育批判
子宮頸がんワクチン反対
ピルの避妊目的使用嫌悪
緊急避妊薬「適正使用」

これらはこの10年の日本で生じた現象です。
それぞれ別の現象のようで、
その背後に聖処女幻想が関係しているように思えてなりません。
このような観点から、日本の聖処女幻想について考えていくことにします。

聖処女幻想の国(2)に続く

(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)