アメリカ産児制限連盟(the Birth Control Federation of America)は、
1942年にthe Planned Parenthood Federation of Americaに改名します。改名の理由は「産児制限」の名称が、家族否定との誤解を生じる事にあったようです。
サンガーは新名称についてローズ(D. Kenneth Rose)に相談します。
ローズは「産児制限」の名称を捨てて、
代わりに「Planned Parenthood」を用いるように提案しました。
この新名称についてサンガーは難色を示したと伝えられています。
サンガーは自らの造語である「産児制限」に愛着を感じていました。
(以上、Linda Gordon, Woman's Body, Woman's Right (New York: Grossman, 1974, 1976).参照)
parenthoodの意味は、「親であること」です(参照)。
参照ページには-hoodのつく言葉について解説されています。1942年の時点でおそらくparenthoodという英語はなく、
ローズの造語であったのではないかと想像します。
少なくとも、ポピュラーな英語ではなかったでしょう。
とすると、なぜローズはわざわざparenthoodという新語を造ったのでしょう。
新名称が家族否定の誤解をなくすためであれば、
Planned ParenthoodではなくPlanned Familyでもよかったはずです。
Planned FamilyでなくPlanned Parenthoodとされた謎は残されたままです。
新名称Planned Parenthoodは、漠然とした概念です。
Planned Parenthoodへの改称後の活動内容をみると、避妊に焦点化された活動から周辺領域に拡大しています。
たとえば、結婚教育・相談や不妊治療などです。
避妊についても、出産間隔を空けることを奨励しました。
当時、Planned Parenthoodの活動の担い手は男性になっていました。
彼らによるファミリーセンター化プログラムは、
公衆衛生政策とマッチし政治的反発を避けながら地域に浸透していきました。
Planned Parenthood概念の不明瞭さが、
活動範囲の広がりと関係していたように思えます。
活動範囲の広がりはいくつかの意味を持っています。
一つは、貧困層を対象とした活動から、全市民対象の活動への広がりです。二つは、農村部を含めた全米的な活動への地域的広がりです。
三つは、リプロヘルス全般の活動への広がりです。
四つは、対象年齢層の広がりです。
五つは、対象の男性女性両性への広がりです。
この内、日本との対比で重要なのは、四つ目と五つ目です。
別エントリーで見るように、日本の家族計画は既婚女性を対象としました。
一方、Planned Parenthoodは早くから婚前の男女を対象とし、
結婚相談などの活動をしていました。
戦後のアメリカでは婚前の性交渉が徐々に広がります。
そこに新たな避妊需要が生じていました。
それにすぐさま気づく体制が、
曖昧概念のPlanned Parenthoodにはできていたと言えます。
当時の主要な避妊手段はペッサリーでした。
ペッサリーは必ずしも未婚女性に適した方法ではありません。
若年層の避妊問題解決が課題となっていたので、
ピルは受け入れられるべくして受け入れられました。
Planned Parenthoodの名称は漠然性を持つと書きました。
この名称が採用された当時、婚前男女の性交渉はまれなことでした。だから、この名称は漠然として不明瞭な概念でした。
しかし、時を経て婚前交渉が一般化して行くにつれ、
Planned Parenthoodは新たな意味を持つようになりました。
いつしか、Planned Parenthoodは「脱できちゃった婚」の意味を持つようになっていました。
こうしてPlanned Parenthoodは再び、Birth Controlの意味を持つようになりました。
以上、Planned Parenthoodの超簡略歴史を振り返りました。
「聖処女幻想の国」のテーマとは、直接関係ありません。それでも、この話から始めました。
アメリカは聖処女幻想がもっとも希薄な国の一つです。
アメリカでは婚前交渉の広がりを現実として受け取り、
現実的な対応が取られました。
聖処女幻想が希薄な国・地域・階層では、
同様な現実的な対応が取られたように思えます。
聖処女幻想が希薄だから現実的な対応が取られたとも、
現実的な対応が取られたから聖処女幻想が希薄になったとも、
どちらにも考えられます。
私は後者、アメリカでは現実的な対応が取られたから、
聖処女幻想が希薄になったのではないかと考えています。
歴史的・民俗的な聖処女信仰と、
近代社会のそれが連続していることは否定しませんが、そこには質的断絶があるように思えるのです。
近代社会における「聖処女」は「ふしだら少女」との対概念ではないか?
「ふしだら少女」イメージの対極として「聖処女」イメージはあるのではないか?
このように考えています。
未婚の性に対して現実的対応を取った国では、
「ふしだら少女」のイメージが膨らむことはなかったように思えます。
逆に現実的対応が取れなかった国では、
道徳的にコントロールする必要があり、
「ふしだら少女」イメージが作られたのではないかと考えます。
そして「ふしだら少女」は現実的存在でもありました。
イメージの、そして現実の「ふしだら少女」が、
反動として聖処女幻想を生み出すことになったのではないか。
このように考えているのです。
もしそうだとすると、Planned Parenthoodへの改称は、
多くの怪我の功名を生み出したことになりました。
婚前交渉への現実的対応と道徳的対応の差が、聖処女幻想の強弱を生んだのではないか?finedayspill.blogspot.jp/2013/03/2.html
— ピルとのつきあい方(公式)さん (@ruriko_pillton) 2013年3月4日
聖処女幻想の国(3)に続く
(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
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