2015年9月11日金曜日

生殖にまつわる費用の社会負担を求める論理

日本の人口の長期変化を示したグラフです。

1600年から100年余りの間で、人口は約3倍強に増えています。
新田開発などによる食糧増産が人口増を可能にしました。

もう一つ見逃すことのできない要因は、自作農(本百姓)の創出です。
自作農経営は後継者がいて継続できます。子どもを多めに産み育てようとしたことが、人口増加の要因になったでしょう。

この100年余りの間に画期的な医学の進歩も生殖技術の進歩もありません。3倍強の人口増は、出生数の増加によるものです。食料があれば、ヒトは100年で人口を3倍強にする事ができることを示しています。

1700年過ぎから幕末までの約150年間、一転して人口は静止化します。食糧増産が頭打ちになる、農民の階層分化が始まり自作農が減少していくなどの要因が考えられます。

では、江戸中期から幕末にかけての静止人口は、妊娠数の減少によってもたらされたのでしょうか。いいえ、おそらく妊娠数は基本的に変わらなかったでしょう。妊娠数は変わらないのに、人口は静止化したのです。

この人口の静止化は、間引き・堕胎によってもたらされたと考えられます。18世紀の日本では、人為的な人口調整が広汎に行われるようになったと考えるべきです。

1800年ころになると、堕胎・間引きの禁止政策を導入する藩が出てきます。これは広汎に行われるようになった堕胎・間引きに対応したものであったと考えられます。

明治になると、再び人口増加が始まります。増加率は、100年間で4倍のペースです。3倍強を上回るのは寿命が長くなったことが関係していると考えられます。

人口統計は、明治になると堕胎・間引きが影をひそめたことを示唆しています。広汎な間引き・堕胎が継続していれば、この人口増加ペースにはなりません。

明治新政府は堕胎・間引きの禁令を発しますが、江戸期の諸藩の禁令と異なるものではありません。1880年には刑法に堕胎罪が規定されますが、すでに人口増加は始まっています。法制によって、間引き・堕胎が影をひそめたとは考えられません。

近代国家の成立と共に人口増加が始まる現象は、日本に限ったことではありません。後進国であった日本で見られたのと同じ現象が、開発途上国でも見られました。

近代化が緩やかに進行した先進国では人口増加率は低く、開発途上国では爆発的な人口増加になりました。日本は先進国と開発途上国の中間に位置します。

近代化とともに人口増が生じるのはなぜでしょう。医学や衛生知識の進歩も1つの要因です。しかし、それだけでは爆発的とも言える人口増加を説明できません。

近代化とともに人口増が生じるのは、堕胎間引きが行われなくなるからです。近代以前の人々は共同体規範に従って生活していました。人口増加を拒否する共同体規範が、堕胎・間引きを強いていたのです。

近代国家の成立により、人々は共同体規範を脱し、国家規範に従うようになります。共同体規範の相対的弱化が、堕胎・間引きを消滅させたと考えられます。

もし、堕胎間引きもなく、避妊もないとすると、人口は100年に3~4倍のペースで増加します。帝国主義的な侵略戦争で植民地を獲得しない限り、この人口増加圧力を吸収することはできません。

日本は戦後、世界に先駆けて中絶を合法化し、家族計画運動という世界最初の国策避妊運動を行いました。それは戦争放棄を規定した憲法があったからできた事とも言えます。

以上、日本について述べたことは、時期がずれたりしますが、他の先進諸国にも基本的に当てはまります。社会が必要とする人口調整を女性が、堕胎や避妊として引き受けてきたのです。

そうであるならば、中絶に伴う身命のリスクを女性が負うのは不合理ではないかということになります。女性は安全な中絶を求める権利があります。それが欧米における中絶合法化運動の論理でした。

同様の論理の延長線上に、女性が中絶や避妊の費用を負担するのは不合理ではないかという考えが可能になります。欧米では、中絶や避妊の費用の無料化が急速に進みました。

中絶や避妊は人口増の圧力から社会を守るものであるとすると、出産もまた社会を維持するために必要なことです。そこから、出産や育児の経費が社会で負担すされるようになっています。

さらに言えば、労働における男女格差は女性の生殖と強く関係しています。子どもを産むことが女性の不利益にならない社会の仕組みを作ることは男女平等の実現のために重要であり、課題として取り組まれています。

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