2013年7月20日土曜日

「日本を取り戻す」について考える

参議院選挙の投票日は明日です。
この参議院選挙で、与党自民党は「日本を取り戻す」をキャッチフレーズとしています。
無思想で無教養な広告代理店が考えたキャッチフレーズなのでしょう。
もともと中身のないキャッチフレーズの中身をあれこれ詮索することが流行っているようですが、
それは広告代理店の思う壺です。
選挙のキャッチフレーズとしての「日本を取り戻す」ではなく、
「日本を取り戻す」の言葉本来の意味について考えてみることにします。

「日本を取り戻す」の元祖は、本居宣長でしょう。
国学の流れの中から国粋主義、右翼が生まれてきます。
そのため、国学や本居宣長は保守主義と誤解されることがあります。
しかし、本居宣長における「日本を取り戻す」は、
民族的抵抗思想とみなすことができます。
宣長が発見したものは、日本人の心性に染みついた唐心(からごころ)でした。
日本は長らく中国文化圏の一端に位置してきたのですから、
中国文化が支配的思想になっていました。
その支配的思想からの独立を模索したのが、本居の思想でしょう。
本居において「日本を取り戻す」は、支配的思想に対する抵抗思想でした。

抵抗思想としての「日本を取り戻す」と同様な思想は日本以外でも見られます。
近代中国の興中会・光復会・華興会などは、「中国を取り戻す」でありましたし、
朝鮮祖国復光会は「朝鮮を取り戻す」でした。
勃興期のナチスも「ドイツを取り戻す」と主張しました。
ベルサイユ条約下のドイツの状況を考えればナチスの主張も含めて、
「○○を取り戻す」は抵抗思想と見なすことができます。

「○○を取り戻す」は民俗(国家)が抑圧状態に置かれている条件下で、
抵抗思想として機能します。
現在の日本は外国の抑圧下にあるのでしょうか。
憲法が60年前にアメリカによって強制されたものであったとしても、
現在の日本がアメリカの抑圧下にあるとは言えません。

「日本を取り戻す」は本来、弱者の抵抗思想であり、
明確に強者が意識されていなければなりません。
ところが支配政党である自民党が「日本を取り戻す」と言う時、
どのような支配から「日本を取り戻す」のか全く明瞭にできません。
支配政党が「日本を取り戻す」と言うことに、滑稽さを感じます。

「○○を取り戻す」は本来抵抗思想なのですが、
同時に抑圧思想に転化する危険を内包しています。
民族(国家)主義は普遍を圧殺する論理にも転化するのです。
有り体に言えば、外国はどうであろうと日本は日本のやり方がある、
と言い始めるのです。

当サイト、当ブログはピルをテーマにしています。
ピルにも日本独特のやり方があるようです。
1999年まで日本だけに避妊効能を持たないピルがありました。
やっと解禁になったのもつかの間、
またヤーズやルナベルという避妊効能を持たないピルを作り出してしまいました。
「日本を取り戻す」なのでしょう。

女性の願いは国によって異なることはない、普遍な願いと考えています。
しかし私から見ると、日本の状況はあまりに特殊です。
だから、できるだけ海外の情報を伝えようと努めています。
「日本のピルを取り戻す」と考える人々にとって、
普遍は否定されるべき事のようです。


ほんとうに必要なのは、「日本を取り戻す」ではなく、
「人間を取り戻す」ではないかと思います。

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