2013年1月24日木曜日

3.堕胎罪のルーツ

江戸時代の人々は過剰人口に嬰児殺しや間引きで対応するしかありませんでした。
余りに悲しいことです。 江戸時代の間引きについてからつ塾の講義ビデオです。

1時間40分の長いビデオですが、 すばらしい講義内容です。
この講義の中で間引きが全国的に行われていたことや、 為政者が間引き禁止政策をとったことについて触れられています。
間引き禁止政策を唐津藩の事例で見ていく内容です。
間引き禁止政策は唐津藩だけでなく、 おそらく諸藩でも取られた政策であったと考えます。
江戸時代の間引き禁止政策として一般化できる側面があると思います。
しかし、唐津藩では間引き禁止政策により人口が増加していますが、
他藩では人口増加が基本的に見られません。
他藩が同じ間引き禁止政策を取っていたなら、 他藩でも人口増加が見られるはずですが、
そうはなっていません。
唐津藩の政策は特殊性を持っていたことも事実でしょう。
その特殊性は福祉政策的性格だと考えますが、
この点については別エントリーとします。
唐津藩の間引き禁止政策は、管理と罰則、教化、福祉政策の3本立てです。
いかに妊娠を細かく管理しようとしていたのかは、 ビデオの中で詳しく語られています。
間引きを行った産婦が処罰された話も出てきます。
このケースについて、女性が独断で間引きを行ったとして女性が処罰されたと説明されます。
ある意味で特殊な例のように聞こえました。
唐津藩の政策では、妊娠から出産に至るまでを報告する義務は当の女性にはありませんでした。
報告義務違反が処罰の主たる対象でした。
この点は明治の堕胎罪とは大きく異なる点です。
しかし、建前は当の女性を処罰対象にするものでなくても、
現実には女性が処罰されています。
女性が独断で間引きを行うことなどあり得なくても、
責任が女性に押しつけられることがあったのでしょう。
なぜ女性に責任が押しつけられるのかは明かです。
嬰児は産婦の管理下にあります。
嬰児が産婦の管理下にあることが、 女性だけの責任にされる大きな理由のように思えます。
そして、胎児は嬰児と比べものにならないほど、 女性の管理下にあります。
堕胎罪が女性の責任を問う枠組みができつつあったように思えます。

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