間引きから避妊に至る過渡期の堕胎
江戸時代の間引きは社会の構造的矛盾によって生じたものでした。
その責任は誰にもありません。
個人的な問題ではないのです。
人類が直面した過剰人口という問題で、
もっとも悲しい思いを強いられたのは女性でした。
そして、なおかつその責任を押しつけられたのも女性でした。
間引きという野蛮な方法から女性を多少なりとも救うものが堕胎でした。
間引きの野蛮性を克服する技術が堕胎だったのです。
江戸時代には優れた堕胎剤が開発されたと考えています。
このことは別のエントリーで述べます。
堕胎の問題は、広範に間引きが行われていたという事実を抜きにして考えることはできません。
江戸時代の男女比が10対8であると書きました。
間引かれたのが全て女性と仮定しても、
産まれてきた子どもの10人に1人が間引かれていたのです。
このことは女性にとって耐え難い悲しみだったでしょう。
流産薬が普及する条件が江戸時代の日本にはありました。
堕胎は密かに行われます。
私たちが想像する以上に堕胎が広まっていたかもしれません。
堕胎は女性の心身に大きな負担となります。
しかし、間引きと較べると心身の負担はずっと軽減されたと思います。
それは女性にとって最悪ではない選択でした。
しかし、この進歩は別の仕打ちを生み出します。
間引きは多少なりとも男女の共同責任と考えられていました。
間引きと同様に堕胎も社会的必要だったにもかかわらず、
これを女性の責任とする考えが広まります。
間引きも堕胎も女性が好んで行ったものではありません。
にもかかわらず、女性の責任にされるようになったのです。
それが女性の責任とされた理由は明かです。
女性が産む性だからです。
産む性であるために、悲しみも責任も負うことになりました。
これは日本の女性だけの問題ではありません。
この問題を解決するには避妊しか方法はありませんでした。
避妊は数百年の間の女性の悲しみを救う技術でした。
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