2013年3月31日日曜日

ピルを2錠以上飲み忘れたとき

前書き(2013.10.26追加)
この記事は「ピルとのつきあい方」のピルを飲み忘れた時の対処法記述について、
その背景を書いたものです。
詳しい服用法は「ピルとのつきあい方」でご覧下さい。
ピルの飲み忘れがあると、排卵リスクが高まります。
それを模式的に示したものが上の図です。
12時間以内の飲み忘れは誤差として無視してかまいません(参照12時間ルール)。
12時間を越える飲み忘れについては排卵リスクが生じ、
2錠、3錠・・・と飲み忘れ錠剤数が多くなるほどリスクが高くなります。
上の図はそれを模式的に示しています。
2錠以上の飲み忘れ(図では24Hより右)では、時間経過とともにリスクが上昇します。
このリスクにどのように対応するかが、ピルユーザーの避妊失敗を少なくする上で重要です。
現在、日本以外の諸外国では副作用の少ない緊急避妊薬がドラッグストアで店頭販売されており、価格も低価格です。
このような状況を反映して、2錠以上の飲み忘れには緊急避妊で対応する方法が主流となっています。
図に①で示したのはイギリスの緊急避妊ガイドラインですが、
緊急避妊の適応を2錠以上の飲み忘れとしています(参照日本の実情を無視したガイドライン)。
日本では緊急避妊薬の入手には病院での処方が必要ですしその価格も高価格です。
病院で処方を受けるまでの時間がかかればかかるほど、リスクは大きくなります。
そこで「ピルとのつきあい方」では、
飲み忘れたピルを使用して排卵リスクを低く抑える方法を紹介しています。
ところが、日本のピルのガイドライン・添付文書・服用者向け情報提供資料は全て、
24時間を越える飲み忘れでは服用を中止するように求めています。
服用を中止すれば、排卵リスクが時間とともに増大することは上の図からも明らかです。
これは明らかにトンデモ服用法です。
この服用法に従ってはいけません。
公的文書がトンデモ服用法なので、病院サイトなどの説明もほとんどがトンデモ服用法です。
そのことに目を付けたNPOグループが、「ピルとのつきあい方」攻撃のためにトンデモ服用法を利用しています。
彼らの無責任な言説に耳を貸さないで下さい。

なお、日本の緊急避妊ガイドラインは3錠以上の飲み忘れを緊急避妊の適応としています(図の②のライン)。
ピルの添付文書との整合性もない思いつき(実は政治的判断)なので、
ピルユーザーに緊急避妊が必要なケースについて情報提供されることは全くといってよいほどありません。
以上、前書きです。

ピルユーザーには必ず飲み忘れがあります。
この飲み忘れに際して、ピルユーザーにわざわざ妊娠しやすくなる方法を推奨してきたのが、
低用量ピル普及推進委員会なるグループです。
ピルユーザーを妊娠させるTWに注意
このグループに偉そうな事を言う資格はないと考えますが、
以下のような当サイト批判?を行っています。

某サイトでは
 12時間以上ならアウト
 24時間までの飲み忘れなら1日の飲み忘れの対処

2日になったら完全アウトと言いながら
 2錠服用→朝1錠(21錠目)/定時に1錠
 ・・・朝の服用の意味はわからない。

私のバイブルである低用量ピル適正使用マニュアルには
1週目の2日の飲み忘れの対処に関しては、
気がついたら2錠/翌日にも2錠を服用する方法も記載あり。
http://archive.is/fILxS

これについてコメントしておく事とします。

マナーの(法的な)問題

出所を明示せずに某サイトなど書くのは、著作権法違反です。
さらに、勝手な改変をしているのも著作者人格権の侵害です。
「1日の飲み忘れ」では不明確になるので、
当サイトは「1錠の飲み忘れ」のような表記法を採用してきました。
このグループは、このような著作権法違反を常習的に繰り返しています。

まともな批判になっている点について
1.朝夕(定時)の意味

①【気づいたときに2錠、翌日定時2錠】と
②【気づいたときに2錠、翌日朝夕(定時)各1錠】は、
基本的に同じ服用法です。
気づいたときに2錠のパターンは、
A 定時朝 気づいたのは定時より後の朝
B 定時朝 気づいたのは定時より後の夜
C 定時夜 気づいたのは朝
D 定時夜 気づいたのは定時より後の夜
のようなパターンがあります。
①の服用法でCの場合、1回目の2錠と2回目の2錠の間隔が開きすぎてしまう。
①の服用法でBの場合、1回目の2錠と2回目の2錠の間隔が短すぎて不正出血が起きやすい。
このような①の服用法の問題点を改善したのが、②の服用法です。
当サイト、②の服用法批判はためにする批判に思われます。

2.第2週への適用
2錠+2錠の服用法はミニ緊急避妊の考えで、排卵のリスクを応急的に回避するものです。
2錠以上の飲み忘れで排卵リスクが最も高いのは第1週なので、
第1週の飲み忘れ対応としては「低用量ピル適正使用マニュアル」と同じです。
第2週の2錠以上の飲み忘れで排卵リスクがほとんどないなら、
2錠+2錠の服用法を取る必要はない事になりますが、
実際は排卵リスクがあるので2錠+2錠の服用法を不可とする理由にはなりません。
2錠以上の飲み忘れには3錠4錠5錠・・・の飲み忘れもあります。
それに対して、2錠+2錠の服用法は非常に有効です。

欧米でピルは半年分または1年分まとめて処方されるのが普通なので、
ピルユーザーの手元に未使用のシートがいつでもある状態です。
一方、日本ではピルユーザーが未使用のシートを持たないケースも多くあります。
このような事情を勘案すると、すぐに新シートへの移行をアドバイスするのは、
現実的でないと考えます。

3.応急性

ピルユーザーの多くは飲み忘れに気づいたとき、とっさの対応を思い出せません。
服用を中止してしまうのが最悪です。
「2週までの2錠以上の飲み忘れなら、まず取り敢えず2錠服用する。」
この対応は開発途上国などの一部の女性にはとても難しい事でした。
(WHOガイドライン改訂2版の背景)
日本の女性なら全然問題ないでしょう。
この対応を取ってからゆっくり考えたり相談してよいのです。
ある場合には緊急避妊が必要なケースもあります。
その場合でもこの応急対応はプラスに作用します。

4.つけたし

低用量ピル普及推進委員会なるグループは当サイトの揚げ足取りに熱心ですが、
まずしっかり勉強して、それからピルユーザーのための活動をすべきです。
2錠服用を忘れたら服用中止などというトンデモ服用法のトンデモさが理解できないのでしょうか。
それとも、ピルユーザーが避妊に失敗してもへっちゃらなのでしょうか。
顔を病院へ製薬会社に向けるのを止めて、しっかりピルユーザーの方を向くようにしてほしいものです。

参照 図説 ピルの飲み忘れ


本稿の姉妹編 産婦人科医の犯罪的怠慢

2013年3月30日土曜日

アンケート:緊急避妊薬(アフターピル)服用までの時間は?

緊急避妊の実態についてのアンケートです。 【関連アンケート】
アンケート:「女性手帳」に賛成?反対?
アンケート:緊急避妊薬(アフターピル)服用までの時間は?
アンケート:ピル(中・低用量)で生理日が調整できるって常識?
アンケート:あなたのピル(OC)の服用目的は何ですか?
アンケート:ピルの服用をパートナーに知らせていますか?
アンケート:ピル1シートの代金はいくら? →中間集計②
アンケート:今、飲んでいるピルの種類は何?中間集計①
回答がまだであれば是非ご協力願います。

ドイツの緊急避妊

ドイツ政府の健康教育センター(BZgA)が作成した緊急避妊のパンフレット(PDFファイル)です。




ノルレボタイプの緊急避妊薬なら、16-18ユーロなので日本円で2000円ほど。
20歳以下では保険から払い戻しがあります。
日本では、効果情報を曖昧にし72時間以内なら効果があるなどと伝えられていますが、
ドイツでは早いほうが効果が高い事をきっちり伝えています。
24時間以内なら5%、24-48時間なら15%、48-72時間なら42%が失敗で妊娠します。
一日遅れれば、失敗率は3倍高くなるわけです。
ドイツでは365日、緊急避妊にアクセスできる体制が作られています。
日本のノルレボ遠ざけ政策の真逆です。

2013年3月27日水曜日

マーガレット・サンガーの武器--個人輸入

避妊運動の世界的指導者だったサンガーは、
避妊そのものが禁止だった時代に避妊運動を行いました。
避妊そのものが禁止なのですから、
当然のことながら避妊具は製造も販売もされていません。
サンガーはどうしたかというと、ペッサリーを輸入しました。
日本ではサンガーがペッサリーを日本から輸入したとの説が広がっています。
しかし、英語文献にそのような記述の記憶はありませんから、
不確かであるように思えます。
確かなことは、サンガーがペッサリーをヨーロッパから輸入していたことです。
輸入と言っても避妊が禁止されているのですから、
避妊具としてペッサリーを正規に輸入することはできません。
そこで取られた方法が現在で言う個人輸入です。
この個人輸入は裁判にもなり、性の権利の前進に貢献しました。


裁判はサンガーの武器が個人輸入であったことを人々に印象づけました。
ローマ教会は一貫して避妊具を使う避妊を禁止していますが、
カソリック国で避妊を禁止している国はありません。
性は人間共通で国境はありません。
必然性のあるものは国境を越えて広がります。
コンドームやピルは簡単に国境を越えてしまいますから、
禁止しても意味がないのです。
サンガー以来、個人輸入は避妊の権利拡大の伝統的武器となりました。


個人輸入が武器となり得るのには、ある事情が関係しています。
日本で1999年までピルが禁止されていたと言います。
しかし、禁止されていたのは、製造・販売です。
国は製造・販売については許認可権でコントロールすることができます。
しかし、個人の使用を制限することはできませんし、
そのような法律は不可能なのです。
つまり、日本で個人がピルを使用することは、
一度も禁止されたことがないのです。
同様の事情は各国とも全く同じです。
避妊の権利拡大に、個人輸入が武器として使われる必然性があったわけです。
現在の日本でマーベロンが人気のピルとなっているのは、
規制を打ち破る個人輸入の拡大があったからです。


個人輸入は、性の権利の抑圧がないところでは行われません。
個人輸入は、性の権利の抑圧度を示すバロメーターです。
もっとも、性の権利の抑圧を抑圧と感じる力には個人差があります。
その差が個人輸入に対する考え方の差となります。
例えば、緊急避妊をめぐる日本の状況は「遠ざけ政策」だと書きました。
これを私は性の権利の抑圧と捉えますから、
緊急避妊薬を事前に個人輸入で準備したいというのは当然の権利と考えます。
しかし、緊急避妊薬の個人輸入を推奨するわけではありません。
なぜなら、緊急避妊薬の個人輸入が増えても、
日本の緊急避妊薬使用環境の改善につながらないからです。


個人輸入は、性の権利の抑圧度を示すバロメーターであるとともに、
個人輸入に対する個々人の考えは、性の権利意識を計るバロメーターにもなります。
ピルを個人輸入して使うのはけしからん、
と言う医師は往々にしてピルでお金儲けしたいだけの人です。
1000円でノルレボが個人輸入できるんなら保険代わりに持っておいたら、
と奨める医師は女性の性の権利を考えている医師です。
私はそう思います。


私から見ると、サンガーは大胆な個人輸入推進者でした。
そのおかげで、アメリカは個人輸入する人がほとんどいない国になりました。

2013年3月25日月曜日

「低用量ピル普及推進委員会~える・おーしぃ」による不法行為

低用量ピル普及推進委員会を名乗るグループの目にあまる言動については、
これまでも書いたことがあります。
しかし、一向におさまる気配がありませんので、
より効果的な対策を検討します。
その際、善意の第三者が巻き添えになる可能性があります。
ご注意願います。
具体的な例で説明します。


上で、ま****ん氏は善意の第三者です。
ま****ん氏の発言を受けて、グループ代表者さちりん氏の発言があります。
さちりん氏の発言は刑法第233条偽計業務妨害罪に相当するおそれがあります。
なぜなら「危険な情報」とか「法に触れる行為」と書かれていますが、
それが事実でない場合にはサイト運営という業務を妨害する行為であり、
3年以下の懲役又は50万円以下の罰金が課せられる犯罪です。
当サイトの情報について同グループが「危険な情報」と指摘したことは私の知る限りこれまでありませんので、その内容は不明です。
「法に触れる行為」について、同グループは長年にわたり緊急避妊についての当サイトの記述を違法と指摘し続けています。
病院で緊急避妊薬がもらえない知人等にピルを融通すると違法だというのですが、
このことについては、別のエントリーの「二つ目は薬の譲渡の問題です」以下で書いています。
これを要するに自分が病院で処方を受けた風邪薬を旦那に渡しても、
それは「業として」譲渡したわけでないので、
薬事法違反とはならないということになります。
こんなわかりきった問題を「違法」と決めつけ、
長年にわたり違法サイト宣伝を繰り返してきました。
当サイトの記述が「法に触れる行為」であるなら、
その立証責任は同グループにあります。
もし、何となく違法なのではとの思い込みであったとしても、
具体的に当サイトを中傷するものですから偽計業務妨害罪は成立します。
※当ブログの記述に半信半疑なら→参照世におもねる専門家はいらない / 行列のできる法律相談所 

確信犯であるさちりん氏や同グループ関係者が自己の行為について責任を取ることは当然ですが、
問題は、ま****ん氏のような善意の第三者です。
仮にま****ん氏がさちりん氏の発言に同調すると、
微妙な点はありますが共同正犯に問われる可能性があります。
偽計業務妨害罪は刑法犯です。


それとは別に、同グループは著作権法違反を常習的に繰り返しています。
「某サイトには」などの形で当サイトの内容を出所を示すことなく引用し、
あるいは当サイトの内容を改変するなどの行為は著作権法に違反しているおそれがあります。
当サイトは、悪意の著作権侵害に対して損害賠償並びに慰謝料の請求権を有していると考えています。

田中太郎と言う人がいて、その人をネットで繰り返し、
「(田中太郎は)法に触れる殺人者であることに気づきました。」
と書き続けられたとしたらどうでしょう?
事実に基づかない中傷は例え思い違いであったとしても、
常識外ですし立派な犯罪です。
同様に、何らの違法行為がないにも関わらず、
「(ピルとのつきあい方は、薬事)法に触れる行為なんかもあることに気づきました。」
と書き続ければ、それは常識外ですし立派な犯罪です。

2013年3月23日土曜日

増え続ける?ピルの避妊失敗率

「ピルの避妊失敗率は0.1%」と言うけれど・・・

病院サイトではこのような記述をよく見かけます。
その根拠になっているのが日本のガイドラインや添付文書です。
当サイトは避妊法評価の世界的な標準となっているTrussell J. Contraceptive Efficacy.のパールインデックスを紹介しています。
Contraceptive Efficacyの最新版は、現在第20版となっています。
第16版から第20版までの各版でピルの避妊効果評価は異なります。
以下にまとめてみました。


理想的な使用の評価はPI0.1からPI0.3でほとんど変わっていませんが、
一般的な使用の評価は下がり続けています(失敗率は上昇)。
第16版ではPI 3.0であったものが、現在ではPI 9.0にまでなっています。
ちなみに、コンドームの理想的使用ではPI 2.0です。
コンドームをきちんと使用すれば、
ピルを漫然と服用するよりはるかに避妊効果が高いという数字です。
ピルはかつてのように避妊効果抜群とは言えなくなっているのです。

ピルの避妊効果低下の背景

おおざっぱに言うと理想的使用のPIは避妊法要因で、
一般的な使用のPIは使用者要因です。(PIについての説明参照)
一般的な使用のPIは使用者要因ですので、国によっても異なってきます。



アメリカではこの十数年の間、
ピルユーザーの服用規律が低下しPI 3.0からPI 9.0になったといえるでしょう。
他の要因があるにしても、ピルユーザーの服用規律低下の要因が関係していることは確かでしょう。
ピルは他の避妊法と異なり、
避妊効果が得られている状態か否かを頭で判断する/頭で判断できる避妊法です。
ピルについての一定の知識がなければ、この判断ができませんので失敗が多くなります。
ブッシュ政権下のアメリカでは禁欲教育政策が取られましたが、
これは長期的に見るとピルの避妊失敗率を上昇させる要因になるかもしれません。
2004年にWHOは、ピル服用についてのガイドラインを改定しました(Selected practice recommendations for contraceptive use,Second edition)。
この新ルールについてはDiana Mansourらによって、先進国女性の避妊需要に適さないとの批判がなされてきました。
新ルールとピルの避妊失敗率の上昇の関係は明らかでありませんが、無関係とも言い切れません。

日本のピルユーザーの状況

性についての知識が乏しければ、ピルについての理解度は低くなります。
ピルについての理解度が低ければ、
失敗率は高くなりますし長続きしません。
これはアメリカのピルユーザーと西欧のピルユーザーの違いとして、
しばしば指摘されてきたことです。
日本の性教育はお世辞にも十分とは言えません。
日本女性の性についての知識はかなり乏しいと言えるでしょう。
この日本にピルを定着させるには、
ピルの知識を持つピルユーザーを育てていく必要があります。
この問題が課題として意識されない限り、
日本にピルが定着することはありません。
換言すると、医師がピルユーザーを管理しようとすればするほど、
ピルユーザーは遠のいてしまうのです。
日本の飲み忘れ対応は、問題外なのでここでは書きません。
日本の女性の几帳面さがなければ、
日本のピルユーザーの避妊失敗率は世界最悪レベルになるかもしれません。
「ピルとのつきあい方」がピルユーザーに慎重な対応を奨めている理由です。

2013年3月21日木曜日

ピルは和製英語?

ピルは世界共通語

「英語でピルはたんに錠剤の意味で、経口避妊薬をピルというのは和製英語だ」
1999年のピル解禁以来、繰り返されている言説です。
ピルは和製英語なのでしょうか?
答えはノーです。
英語のthe pill、ドイツ語のdie Pille、フランス語のla pilule、イタリア語のla pillolaは全て経口避妊薬の意味を含んでいます。

ピルがピルとなったわけ

ピルは和製英語どころか、世界共通語ともいえます。
もともと錠剤の意味のpillが経口避妊薬を意味するようになるのには、
ある事情が関係しています。
1940年代から50年代にかけて、殺精子剤が避妊薬として各国で認可されます。
日本でも1940年代末には殺精子剤が使用されるようになりました。
この殺精子剤こそ元祖避妊薬です。
殺精子剤はタブレットであったり、ゼリーであったり、後にはフィルムであったりしました。
それに対して経口避妊薬は、錠剤でした。
タブレットやゼリーでない錠剤の避妊薬なので、
ピル(錠剤)と呼ばれたのです。
日本でも避妊ゼリーが単にゼリーと呼ばれたのと同じことです。
なお、tabletは平べったり錠剤、pillは丸い錠剤です。
お菓子のFRISK(フリスク)やカルミンのような形はタブレットで、
ピルとは言いません。

1999年以前のピル

1999年以前、日本ではピルは治療薬として認可されていましたが、避妊薬としては認可されていませんでした。
それでも、混合ホルモン剤は「世界共通語」のピルと呼ばれました。
1970年代には、ピルの避妊薬としての利用が急拡大しました。
(参照1970年代のピルブームについて考える)

 
ピルの避妊利用者数は、短期間に現在水準(2013年)を遥かに超える水準まで急拡大しています。
ピルという名称に問題があるわけではないのです。
現在、ピルユーザー数が低迷しているのは、高い価格など利用環境がピルの選択を阻害しているためです。
 
OCは和製英語?
 
経口避妊薬は英語ではOral contraceptive pillです。略称はOCPsとなります(参照 wikipedia)。
経口避妊Oral contraceptives の略でOCとの用法もあるにはありますが、医学用語としてもそれほど一般的ではありません。
OCPsやOCは医学用語として使用されるのであり、一般用語としては使用されることはありません。
ところが、1999年以後の日本では、ピルをOCに置き換えようとする動きが現れました。
日本家族計画協会の作成したサイトは、「OC for me」ですし、メーカーサイトは「OC情報センター」です。
ピルという名称をOCに置き換えようと必死だったことがわかります。
英語のOCは、一般用語としてオレンジ郡(Orange County)の略です。
ユーザーがピルのことをOCと言うことは世界中どこでもありませんし、
ドクターが患者にOCと言うこともありません。
ピルのことをOCというのは日本だけで、それは和製英語に近いものです。
 
いびつな避妊事情との関係
 
経口避妊薬を意味する「世界共通語」としてピルが使用されているのは、
殺精子剤との対比が意識されるからです。
殺精子剤はコンドームと併用するとピルに匹敵する避妊効果が期待できます。
欧米で殺精子剤は避妊法としてかなり幅広く選択されています(参照 フランスの避妊法選択)。
現在、日本では殺精子剤は発売されていませんので、
個人輸入でしか手に入りません。
日本は殺精子剤のないこれまた変な国なので、
経口避妊薬をピルという意味がわかりにくくなっているのでしょう。
 
よい子のOC
 
「世界共通語」とも言えるピルをわざわざ和製英語に近いOCに変える理由は何でしょうか?
考えられる理由はいくつかあります。
ピルには副作用など負のイメージがあるので、新しい名前を考えたのかもしれません。
しかし、誤解を含む偏見に対してはきちんと説明することで克服するしかありません。
イメージを変える姑息な方法が通用すると考えるのは、女性を馬鹿にしているように思えます。
考えられるもう一つの理由は、ピルの語が持つユーザー主体のニュアンスです。
当局・メーカー・病院からすると、ピルはcombined oral contraceptive pillという物質ですが、
ユーザーからすると数ある避妊法選択肢の中の錠剤の形の避妊法なのでピルとなります。
ピルという言い方自体に女性による選択という意味が含意されています。
世界でピルが共通語になっているのは、
この点を考慮し医師がユーザーの側に歩み寄っているからです。
避妊法の選択が女性の権利であると共通認識されているからピルとなっているのです。
経口避妊薬が権利ではなく医師の管理下で利用できる恩恵であるなら、
ピルよりもOCの方がふさわしい言葉なのかもしれません。
うがちすぎな見方ですが、OCという日本独特な言い方を見る度に不思議に思われます。

2013年3月15日金曜日

「五木の子守唄」考


五木の子守唄はよく知られた伝承歌です。
五木の子守唄が掛け合い歌であることは、すでに指摘されています。しかし、現在歌われている五木の子守歌は、掛け合いであったことを無視して、一つのつぶやきのように扱われています。そのため、悲しい少女達のニヒルで絶望的な歌との解釈が広く流布しています。この五木の子守歌を平板なつぶやきから、本来の掛け合い歌に復元して再解釈してみると、彼女たちの豊かな共感の世界が見えてくるように思われます。

まず、この歌の成り立ちについて。
この歌の成り立ちを書こうと思ったのですが、
それについては非常によくまとめられているブログがありました。
kemukemuさんのブログ「五木の子守唄」です。
このブログに書かれていることを知らないと、
五木の子守唄は理解できません。
五木の子守唄は、基本的には掛け合い歌です。
掛け合い歌なので遊び的な要素が入ることがあったでしょう。
大袈裟に言ってみたり、茶化してみたりの要素が含まれています。
それでは、今に伝わっている五木の子守唄は、
戯れ言なのでしょうか?
そうとも言えないでしょう。
即興の掛け合いが繰り返される中で、
共感できる"名句"がセレクトされ、伝承されたのでしょう。
「五木の子守唄」は、いわば子守少女達の共同体が共有していた感性の産物と見ることができるでしょう。



この歌詞について少し解説してみます。
学齢に達すると皆が小学校に通うようになるのは、
今から100年少しほど前からです。
それ以前、明治の初め頃とか江戸時代とかは、
貧しい家の子どもは子守奉公に出されました。
今で言えば小学生の年齢の子どもが子守係として、
お金持ちの家に雇われたのです。


 
   (一)
   おどま盆ぎり盆ぎり 
   盆から先ゃおらんと


   【返し】
   盆が早よ来りゃ 早よ戻る

【一般的な解釈例】
子守り奉公もお盆で年季が明け、もうこの家にいないですむ。お盆が早く来れば、父母のいる故郷に早く戻れるのに……。二木紘三のうた物語
『私は、盆までの約束で、この家へ奉公に来ているのです。盆が来りや、家に戻れれるのです。早く盆よ、来てくれ』と家へ帰れる日を待つ気持ちを言ったもの。東京人権啓発企業連絡会


1番の歌詞前半ですが、
お盆までで年季の明ける少女はうれしくて仕方がありません。
盆が来るのを心待ちにしています。
そして「お盆が来ればバイバイだよ」歌います。

返し歌の部分ですが上で紹介したブログが、
「戻る」について当を得た解釈を示しています。
「戻る」についてはその解釈をお借りします。
お盆が年季のことはまれでした。
他の子守少女達はお盆が来ても年季とはなりません。
盆が来ても年季明けでない別の少女たちは、
年季明け少女のウキウキする気持ちは、
痛いほどよく分かります。
その気持ちを思うとこれまであれほど待ち遠しかった盆の里帰りが、
急につまらなく感じられます。
そこで、
「お盆が早く来ても奉公先に早く戻るだけでつまらない」
と居残り少女達の気持ちが歌われます。
それは決してねたみの気持ちなどではありません。
年季明けを迎えた仲間に対する彼女たちでしかかけることのできない祝福の言葉でした。
この短いやり取りの中に、子守奉公から解放される日を待ち望む彼女たち全員の気持ちが凝縮されています。


 
   (二)

   おどまくぅわんじんくぅわんじん
   あん人たちゃ良か衆(し)


   【返し】
   良か衆(しゃ)良か帯 良か着物(きもん)


【一般的な解釈例】
私たちの身なりは乞食と同じだ。あの人たちはお金持ちだから、上等の帯や着物を身につけている。 二木紘三のうた物語
『自分は、身分の低い勧進生まれで貧乏な娘です。それに比べてあの人達はよか衆の家に生まれたもんだから、よい着物を着て立派な帯を締めて、幸せだなあ』と羨む気持ちを言ったもの。東京人権啓発企業連絡会


くぅわんじん(勧進)は物乞いを意味します。
ある子守少女が雇い主のお金持ちに対比させて、
「自分は物乞いだよ」と歌います。
それに対して、別の少女が、
「そうだね、雇い主のお金持ちは良い帯をしてよい着物を着てるよね」
と応じます。
雇い主にも同じ年頃の少女がいたかもしれません。
衣装に目が向くのは、いかにも少女らしいところです。

このやり取りで注意したいのは、
「自分は物乞いだよ」と述べている点です。
自分を卑下し雇い主やその家族を羨んでいるとも取れる歌詞です。
しかし、もし自分を卑下していたら、
「自分は物乞いだ」とは言わなかったでしょう。
人間としてのプライドをしっかり持っていたからこそ、
「自分は物乞いだ」と言えたのではないでしょうか。
それはこの子守唄全てに通じるテーマでもあります。
この子守少女たちは、人間の尊厳とか平等性とか権利とかプライドとか、
そんなしゃれた語彙は持っていません。
彼女は言います「私は物乞いのようなものだ」と。
「私は物乞いのようなものだ」
「私は物乞いのようなものだ」
「私は物乞いのようなものだ」
彼女の言葉はそこで終わっています。
しかし、ここで彼女の言いたかったことは、
「私の身なりは物乞いのようなものだけど、心は皆一人の人間だよ」
ではなかったでしょうか。
その思いは、掛け合い相手の少女も同じでした。
しかし、歌い元の少女への共感を示す言葉が見つかりません。
掛け合い相手の少女は精一杯の共感をこめて、
「そうだね、雇い主のお金持ちは身なりは良い帯をしてよい着物を着てるよね」
と応じます。
この解釈は余りにも主観的かもしれません。
しかし、私にはどうしてもそう思えるのです。
虐げられた人々は時に自分を卑下するような言葉を口にしますが、
それは決して真意ではありません。
「どうせ私は馬鹿ですよ」が、
「私は馬鹿ではありません」を意味するのと同じです。


 
   (三)

   おどんが打っ死(ち)んだちゅうて
   誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ


   
   【返し】
   裏の松山 蝉が鳴く


 
   (五)

   おどが打っ死(うっちん)だば
   道端(みちばちゃ)いけろ


   【返し】
   通る人ごち 花あぎゅう


【一般的な解釈例】
私が死んだら、だれが悲しんでくれるだろう。裏の松山で蝉がなくだけだろう。
私が死んだら、人通りのある道の端に埋めてください。通る人たちがそれぞれに花を供えてくれるだろうから。二木紘三のうた物語

『私が死んだって、誰も泣いてはくれない。裏の山で、蝉が鳴いてくれるぐらいのものだ』という諦めの気持ちを言ったもの。
『私たち、身分の低い娘が死んだとて、墓どころか裏山に捨てられ、誰もかえり
見てくれないでしょう』という気持ちを言ったもの。東京人権啓発企業連絡会


ある子守少女が歌います。
「自分が死んでも誰が泣いてくれてくれようか、誰も泣いてくれない」と。
5番の歌詞、「自分が死んだら、道ばたに埋めろ」はもっと強烈です。
ゴミのように道ばたに埋めろと歌っています。
年端のいかない少女の歌です。
胸が痛みます。

ただ少女は本当に死を意識していたわけではないでしょう。
寂しい心の内を理解し合える仲間なので、
少し大袈裟に「死んでも」とか「死んだら・・・」と歌い掛けているのです。
寂しい心の内をわかり合える仲間だとわかっているから、
大袈裟に言ってみたり悪態めいた言い方をしたりしているのです。

歌い元少女の寂しい気持ちは、
掛け合い相手の少女にも痛いほどよくわかります。
しかし、歌い元の少女に共感を示す応答をすれば、
お互いが惨めになってしまいます。
そこで「裏の松山で蝉が鳴くよ」とか、
「通行人が花をあげるんだからその方がいいんじゃない?」
と茶化したり、突き放したりの応答をしています。
それは同じ境遇の者同士だからできる、
心の通い合った仲間だからできる慰め合いの言葉です。

なお、「裏の松山」はおそらく修辞でしょう。6番の歌詞の「つんつん椿」のつんつんも同じく修辞でしょう。
松林には蝉はいません。「裏の松山」という架空の修辞は、「蝉が鳴く」というリアルな言説をフィクション化する働きをしています。
「つんつん」は語調を整えるとともに、やはりフィクション化の働きをしています。
彼女たちは掛け合いで、身につまされるような現実を語っています。
息の詰まるような話しであったからこそ、その中に修辞を紛れ込ませることを覚えたのでしょう。


 
   (四)

   蝉じゃごんせん
   妹でござる


   【返し】
   妹泣くなよ 気にかかる


【一般的な解釈例】
泣くのは蝉ではなくて、妹だ。妹よ、泣かないでおくれ。お前のことが心配でならないから。
二木紘三のうた物語
『蝉だけじゃなかった。肉親の妹も、私が死んだら、こころから泣いて悲しんでくれるでしょう』という諦めの気持ちを言ったもの。
東京人権啓発企業連絡会

「死んだら・・・」「蝉が・・・」は、
やや現実を離れた掛け合いです。
歌い元の少女は、今度は現実にぐっと引き寄せて、
「泣くのは蝉じゃない、妹だ」と歌います。
架空の話から現実の話にがらりと転換しています。

掛け合い相手は、引き戻された現実の世界にたじろぎ、
「妹泣くなよ 気にかかる」と率直に真情を吐露しています。
寂しさや孤立感に対して「誰も泣かない、道に埋めろ」と強がりを言ってみても、
いざ具体的な家族が想起される時、もう強がりでは語れなくなっています。
「妹泣くなよ」は、自分に対して「泣くなよ」と言い聞かせる言葉なのでしょう。

なお、この妹は子守少女仲間を指していた可能性もあります。
少女仲間の間で、先輩後輩を姉さん妹と呼ぶこともあったようです。
そうすると、「蝉が鳴く」と返した後輩に「泣くのはおまえだよ」と切り返しているようにも思えます。
歌い元がそのような意味で妹と言い、掛け合い相手もその意味を分かっていたとしても、返しは実際の妹の話しとして返しています。


 
   (六)
   花は何の花
   つんつん椿


   【返し】
   水は天から 貰い水


【一般的な解釈例】
供えてもらう花は椿がいいな。閼伽水(あかみず)をもって墓参してくれる人がいなくても、雨が閼伽水の代わりになる。二木紘三のうた物語


歌い元の少女は
「自分の墓に手向けてくれる花は一体何の花何なんだろう?
そこらかしこにある椿の花?」
と歌いかけます。
おそらく椿の花であることにそれほどの意味はなかったでしょう。
少女が思いついた花がたまたま椿でした。

掛け合い相手の少女は返歌に窮します。
現在伝えられているのは「水は天から 貰い水」だけですが、
数多くの返歌が考えられ歌われていたのでしょう。
その中で自然にセレクトされ残ったのが「水は天から 貰い水」でした。
子守少女達がこのフレーズを編み出し、セレクトしたのはなぜでしょう。
それは想像するしかありません。
草木が生きていくのにも、人間が生きていくのにも、
水は必要です。
そしてその水は天から等しくもらっているものだ、との感覚。
彼女たちが共有していたこの感覚が、
このフレーズをセレクトさせたのではないかと私は想像します。
彼女たちは厳しい格差社会に生きていました。
彼女たちは平等という言葉は知っていなかったかもしれませんが、
人間の本来的平等性の感覚は持っていたのではないかと考えます。
その彼女たちがセレクトしたのは、
「水は天から 貰い水」でした。


五木の子守唄の歌詞の意味をざっと考えてきました。
五木の子守唄は見方によれば、
子守少女達が境遇の厳しさを歌い自らを卑下している歌です。
言い換えると、かわいそうな子守少女達が作った子守唄です。
実は、私も昔そのように理解していました。
そのころ、私は真実は言葉で語られると考えていました。
ところが、このように考えていると見えない真実があることに
次第に気づくようになりました。
ヒスパニックの貧しい少女達と接している友人は、
彼女たちは自分より真実を知っている、
だから彼女たちに学んでいるのだと言ったことがあります。
自由という言葉が生まれる前に自由を求める人がいました。
平和という言葉が生まれる前に平和を求める人がいました。
平等という言葉が生まれる前に平等を求める人がいました。
自由や平和や平等と言う言葉をよく知っている人は、
本当に自由を求めている人に気づかず、
本当に平和を求めている人に気づかず、
本当に平等を求めている人に気づかないかもしれません。
なぜなら、本当に自由や平和や平等を願った人達は言葉を持っていません。
私は五木の子守唄を編み出した少女達が、
格差社会をどれほど恨んでいたか、
人間の尊厳をどれほど希求していたか、
と考えました。
そして決して自らを卑下する人でなく、
彼らなりの方法で境遇に雄々しく立ち向かった人たちであると考えました。
私は五木の子守歌を生み出した少女達を憐れむ気持ちにはなれません。
そのような気持ちは彼女たちに失礼です。
彼女たちこそ、真実を知る人でした。
私達は彼女たちから多くのことを学ぶことができると考えています。

「ピルとその周辺」のブログがなぜ「Home on the Range」を「五木の子守唄」を取り上げるのか、不思議に思われている方も多いでしょう。
その種明かしにもう一歩の所まで来ました。

2013年3月12日火曜日

中間集計① アンケート:今、飲んでいるピルの種類は何?

実施中のアンケートの5個の内、「アンケート:今、飲んでいるピルの種類は何?」の回答数が約100になりました。
ありがとうございました。
アンケートは引き続き継続しますが、
中間集計してみました。


ピルの種類ではマーベロンがトップとなりました。
マーベロンバッシングに抵抗した当サイトとしては、感慨深いものがあります。

保険適用のルナベル・ヤーズはあわせて20%程度でした。
保険適用とはいえ自己負担額が、避妊効能の低用量ピルより高くなることもある薬価ですから、
この程度のシェアとなっているのでしょう。

トリキュラーは2位の座を確保していますが、
かつての大きなシェアは守れていないようです。
意外にと言うと失礼ですが健闘しているのはアンジュでしょう。
ノルレボメーカーのブランドなので、
ノルレボ効果で伸びているのかもしれません。

年齢別では20代と30代で8割を超えています。
10代は約3%です。
この年齢構成はいびつな日本の避妊状況を反映しているように見えます。
価格を含めた敷居の高さが10代のピル利用の妨げになっています。
20代のユーザーの約1/3は、ルナベル・ヤーズユーザーです。
20代でも避妊目的のピルの敷居は高いようです。
現時点の集計から日本のピルユーザーは平均年齢が高いと見ることができます。

地域別に見ると、東京が約1/4を占めています。
上位の道府県はいずれも政令指定都市のある地域です。
ピルユーザーの過半は都市住民と言ってよい状況になっています。
リプロライツとしてのピルの位置づけが弱く、
「うれしい効果のある薬」としての位置づけで宣伝されていることも関係しているでしょう。

【関連アンケート】
アンケート:「女性手帳」に賛成?反対?
アンケート:緊急避妊薬(アフターピル)服用までの時間は?
アンケート:ピル(中・低用量)で生理日が調整できるって常識?
アンケート:あなたのピル(OC)の服用目的は何ですか?
アンケート:ピルの服用をパートナーに知らせていますか?
アンケート:ピル1シートの代金はいくら? →中間集計②
アンケート:今、飲んでいるピルの種類は何?中間集計①
回答がまだであれば是非ご協力願います。

2013年3月10日日曜日

My view of "Home on the Range" as a peace song

Beccy Tanner wrote in the article "Historic Kansas cabin an elemental part of folk-song history" :
Tiny colonies of settlers sprung up across the state , carving chunks out the prairie into farms and towns as American Indians were displaced. And although there is some question whether Higley himself wrote this verse, which is part of the state song:
The Red man was pressed from this part of the west,
He's likely no more to return,
To the banks of the Red River where seldom if ever
Their flickering campfires burn.
That verse, Murphey said, "shows nostalgic sadness at the disappearing of Native Americans at a time when the Indian Wars were still going on, revealing that settlers were not always at odds with their Native American neighbors, and that many pioneers felt fondness for some Indians."


As Tanner points out the verse is different from the original.
And it seems to differ from Higley's thought.
Although the verse may not support Murphey's view clearly,
I agree his conclusions by some reasons.
Brewster Higley also might be one of such pioneers.
I would like to interpret the song as the thought of an idealist.

The strange phrase of  the song Home on the Range is "Where the Deer and the Antelope play".
You know any antelope did not exist in the Americas(see wikipedia).
Therefor Higley had never seen the scene "the Deer and the Antelope play". *1
Antelope is alike deer.
He described that two similar animals played together.
What does this mean ?
Higley lived in the time when the white pioneers and the American Indians were in severe conflict.
I would like to think he hoped the amicable relationship of each other.
The deer would be the symbol of the American Indians,
and the antelope would be the symbol of the white pioneers coming here later.
"The Deer and the Antelope play" seems to mean the peaceful relations on good terms between them.
He seemed to express his hope for peace in the phrase "Where the Deer and the Antelope play".

"Where seldom is heard a discouraging word" follows that.
But there is not any connection with the former phrase.
What is the meaning of "discouraging word" ? *2
The mass slaughters were repeated for the vengeful thought by each other in the Indian War.
When he described "give me a home", it meant the peaceful home that was not yet realized.
And therefor he wished the peaceful home.
In the home such he dreamed, any vengeful thought or hate speaking would disappear.
"Discouraging word" might mean the word of vengeful thought, which discouraged the peace. *3

Higley described in the 3rd verse
 "On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
Any poisonous herbage doth grow".
The poisonous herbage seemed to suggest the war.
The poem was described in 1873 several years after the Battles of  Beaver Creek in August 1867 and October 1868(see wikipedia).
The Beaver river is not so near from Smith country he lived.
It cannot be the true poisonous herbage that Higley described to grow on the banks of the Beaver.
He seemed to describe his hope not to occur the battle again in the phrase.

He described "If their glory exceed that of ours".
What is "glory of ours"?
One of the answers would be the success of settling.
The other answer would be the making peace between the white man and the red man.
No one can know the Higley's thought.
I would like to point out the possibility of the latter. 

Whoes "home on the Range"?
I think:
the home was not only for him, but for both the white pioneers and the American Indians.
The home in his thought had to be peaceful paradise where they lived on good terms.
The slaughters do not match well with the bright nature there.
So he described the nature of the home as something bright.

Many American might feel this song as that of a pioneer's spirit.
I a Japanese appreciate this song as that for the hope of peace,
and I love this song.

*1  Tom Roush wrote: It is known that there are no true antelope in North America. However, the Pronghorn has been called an antelope since the first Europeans arrived.
http://www.youtube.com/watch?v=ArgMK2kAjzw
discussion in Straight Dope Message Board

Even if the pronghorn lived in Kansas State, was there an inevitability to describe the deer and the antelope in pairs ?
*2  Russell K. Hickman wrote:
The words of the chorus “Where seldom is heard a discouraging word” – (in some versions “Where never is heard a discouraging word”) may have been inspired by Higley’s freedom from domestic discord, which possibly he achieved by his removal from Indiana to Kansas.
Russell K. Hickman,"The Historical Background of “Home on the Range”
http://www.dunelady.com/laporte/histories/Home_on_the_Range.html
*3  Russell K. Hickman wrote:
A Mr. Reese --who is one f the oldest pioneers in the section stated --that the occasion of their meeting was an indignation meeting against the Indians,
Russell K. Hickman,"The Historical Background of “Home on the Range”
http://www.dunelady.com/laporte/histories/Home_on_the_Range.html

*****************************************
related:
A criticism on the translated versions of "Home on the Range" (in Japanese)

2013年3月6日水曜日

「峠の我が家」の原詩翻訳=草原のふるさと

遊びで「峠の我が家」の直訳版を作ってみました。

まず、原詩Home on the Rangeと日本語の対訳です。
原意を損なわない範囲でできるだけ忠実に訳していますが、
訳が詩となるように直訳となっていない部分もあります。




草原のふるさと(対訳版)
詩 ブリュースター・ヒグリー
曲 ダニエル・E・ケリー
翻訳 ruriko
1 バァファローの群れるふるさとを我に与え給え
そこでは鹿と羚羊が戯れ
後ろ向きな語りなど聞こえないし
いつの日も空は曇らない

(コーラス)
ふるさとよ、ふるさとよ
そこでは鹿と羚羊が戯れ
後ろ向きな語りなど聞こえないし
いつの日も空に雲は見えない
Oh, give me a home where the Buffalo roam
Where the Deer and the Antelope play;
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not cloudy all day

.(Chorus)
A home! A home!
Where the Deer and the Antelope play,
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not clouded all day.
2 輝くダイヤモンド砂の地を我に与え給え
(砂は)きらめく小川から光を放つ
川辺には白鳥が優雅に舞い
あたかも天国の夢の天使のようだ
(コーラス繰り返し)
Oh! give me a land where the bright diamond sand
Throws its light from the glittering streams,
Where glideth along the graceful white swan,
Like the maid in her heavenly dreams.
(Chorus)
3 ソロモン川の風を我に与え給え
そこでは泉湧き出で命の流れとなる
ビーバー川の土手には万が一にも
いかなる毒草も茂らない
(コーラス繰り返し)
Oh! give me a gale of the Solomon vale,
Where the life streams with buoyancy flow;
On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
Any poisonous herbage doth grow.
(Chorus)
4 幾たびぞ、ここに立ちつくせしか
星々の瞬く光で天輝く夜に
そを仰ぎつ尋ねしことあり
その壮観われらのそれを越ゆるやと
(コーラス繰り返し)
How often at night, when the heavens were bright,
With the light of the twinkling stars
Have I stood here amazed, and asked as I gazed,
If their glory exceed that of ours.
(Chorus)
5 この輝ける我らが地の野の花をこよなく愛す
荒々しいダイシャクシギの鋭い鳴き声をこよなく愛す
絶壁、白い巨岩、そして羚羊の群
その草を食む山々は緑深い
(コーラス繰り返し)
I love the wild flowers in this bright land of ours,
I love the wild curlew's shrill scream;
The bluffs and white rocks, and antelope flocks
That graze on the mountains so green.
(Chorus)
6 空気は清らかでそよ風はすばらしい
そよ風は更に爽やかで軽やか
この平原こそ変わることのない我がふるさと
紺碧の空よ永遠なれ
(コーラス繰り返し)
The air is so pure and the breezes so fine,
The zephyrs so balmy and light,
That I would not exchange my home here to range
Forever in azures so bright.
(Chorus)

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上記のヒグリーの原詩は日本でさまざまに訳された。

※「峠の我が家」日本語訳詞一覧
訳詞HOME家族性時空冒頭備考
Higleyふるさと×現在 1872 Oh, give me このページ上
佐伯孝夫×追憶1940なつかしや歌詞ABC
津川主一×追憶1962?水牛は群れ「牧場のわが家」?
このページ下部コメント欄
中山知子 追憶/現在 1966 ふきわたる みんなの歌 歌詞
岩谷時子 追憶 ? あの山を listen
久野静夫追憶?空青く二木紘三のうた物語
龍田和夫追憶?空は青く二木紘三のうた物語
藪田義雄追憶?1969?角笛は二木紘三のうた物語 映画「女の市場」
教科書?追憶1965?峠には緑しげり二木コメント欄
高崎邦祐ふるさと?×追憶?春来れば歌詞GET
井上 勝 ? ? ? ? ? 004-3537-6
山田 若穂 ? ? ? ? ? 021-6961-4
音教社編集部 ? ? ? ? ? 021-6994-1
島田 磬也 ? ? ? ? ? 027-3172-0
倉橋 たかし ? ? ? ? ? 053-5441-2お帰りの歌
梶山 三郎 ? ? ? ? ? 055-1149-6
小林 純一 × 追憶 ? 花咲き 懐かしの愛唱歌集 ダークダックス
白木 達郎 ? ? ? ? ? 058-8189-7
室生 恵 ? ? ? ? ? 066-8108-5
なるけ みちこ ? ? ? ? ? 154-3704-3
水島 哲 ? ? ? ? ? 177-0442-1
rurikoふるさと×現在2013果てしなきこのページ下
(HOME→訳が家かふるさとかの違い、家族性→「温かい家族」の有無、時空→追憶なのか現在なのか、備考→JASRAC作品コード。高崎詩はアリゾナバージョン?)
不十分さの残る一覧なので、情報歓迎します。


(要約)日本では1940年の佐伯孝夫訳「峠の我が家」で作られたイメージが、戦後のさまざまな訳詞に影響を与えている。

佐伯孝夫訳は、懐かしのふるさとを追憶する趣向で、
文部省唱歌「ふるさと」と非常によく似ています。

峠の我が家
  佐伯孝夫訳詞
1.懐かしや 峠の家
  木々のみどり 深く
  ほがらかに 人は語り
  青き空を 仰ぐ
    ああ わが家
    帰りゆく 日あらば
    谷水に のど潤し
    けもの追いて 暮さん
2.空蒼き 峠の家
  花は赤く ほのか
  子供等の 古きうたに
  今日も山は 暮るる
    (繰り返し)




佐伯訳の「帰りゆく日あらば」は、
「ふるさと」の「いつの日にか帰らん」の刷り込みのようにも見えます。
佐伯訳は原詩に対して、①追憶の詩とする、②homeをふるさとではなく家とする、③家の場所を峠とする、の3点の改変を行いました。
①の追憶の詩とする改変は、後の全ての訳詞に踏襲されています。
②の家の詩とする点も基本的に踏襲されています。ただ、そうすると自然を歌った原詩と齟齬するため「牧場こそ わが家」(中山詩)のような工夫がなされました。
③の峠はタイトルとして受け継がれますが、歌詞内容では必ずしも受け継がれていません。雄大な自然描写と峠のイメージがマッチしなくなっているように見られます。
以上、佐伯訳以後の訳詞は佐伯訳を基本的には踏襲しながらも、
原詩の自然描写をより受け入れようとしているように思われます。
しかし、「峠の我が家」のタイトルを踏襲する限り、
それは不徹底に終わります。
タイトルから来る制約性を逆に発展性に変えたのが、
「家」でした。
佐伯訳で家はほぼ建物としての家でしたが、
後の訳では人の生活の場としての家に意味を膨らませていきました。

*********************************************************

(要約)原詩にはほのぼの家族のイメージは全くなく、自然賛歌である。自然賛歌としての新訳詞を作成した。

佐伯孝夫訳のタイトル「峠の我が家」が踏襲されていることが象徴しているように、
後の訳は佐伯訳の大枠内における洗練化と言えるでしょう。
それはそれで意味のあることと思います。
しかし、一方で佐伯訳の3つの改変により、
原詩の持つ詩情で伝えられなくなった側面のあることも事実ではないでしょうか。
原詩Home on the Rangeは、徹底して自然賛歌です。
いったん「峠の我が家」の枠を外して、原詩に立ち返ることがあってもよいかと思います。
そこで、原詩を活かした歌詞を作ってみました。
曲名は「大草原我がふるさと(西部のふるさと)」としました。
原詩が「ひかり」を隠れたモチーフにしていることも、
訳詞に取り入れました。

大草原我がふるさと
詩 ブリュースター・ヒグリー
曲 ダニエル・E・ケリー
訳詞 ruriko
1 果てしなき 大草原
  戯れる 子鹿よ
  牛の群 のどやかに
  時ながる 大地よ 
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  草輝き いのちあふる
  みどりなす ふるさと
2 湧きいづる 泉の水
  かがやきて 流れゆく
  水鳥は 舞い遊ぶよ
  幸多し 水辺よ
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  水輝き いのちあふる
  うるわしき ふるさと
3 草原に そよふく風
  清らかに みちみち
  はるかなる 地平線
  透き通る 青空
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  風輝き いのちあふる
  きよらけき ふるさと
4 ふるさとに 暮らせる人
  穏やかに 希望もち
  天にみつ 星の輝き
  仰ぎ見る 夜空よ
  あー ふるさと
  光満つ ふるさと
  星輝き いのちあふる
  いとしきや ふるさと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



(要約)原詩を西部開拓賛歌として捉えると、先住民抑圧の歴史が見落とされることになる。

※なお、この歌の背景には白人による先住民族抑圧の歴史があります。
原詩の書かれた1870年代のカンザス州は、「西部開拓」の前線地域です。
「Home on the Range」は白人入植者がこの地を自分たちの「ふるさと」にする、
と宣言している歌詞とも見ることができます。
原詩でgive meが繰り返されていますが、
白人から見れば「神より賜わりしもの」ですが、
先住民から見れば白人の略奪にほかなりません。
これから「Homeふるさと」にしようとしている入植地について、
すばらしい土地だから我が家を立てようと述べていると、
見ることもできます。
このような背景がこの歌にはあることを知っておく必要があるでしょう。
そのことを知った上でも、この歌の価値は損なわれません。
この歌は見方によれば上に述べたような「入植」「開拓」の歌と理解できます。
家や人に焦点化する佐伯孝夫訳「峠の我が家」やそれを踏襲する訳は、
極論すればこの系譜に属します。
他面でこの歌は自然賛歌と理解できます。
「Home on the Range」は、ふるさとを懐かしむ歌では決してありませんし、
まして楽しい「峠の我が家」の歌でもありません。
開拓者個人の自然に対す感情の表現としてこの歌を捉え直し、
その観点から訳詞したのが「大草原我がふるさと」です。


(要約)原詩の「鹿とアンテロープが遊ぶふるさと」は、先住民と白人が共生するふるさとの理想を述べたものと解釈できる。

※英語の原詩では、
home where the deer and the antelope play
が繰り返されます。
このフレーズはアメリカ人にも意味不明で奇妙な1節になっています。
アンテロープantelopeは羚羊と訳される鹿に似た動物ですが、
動物学的には牛に近い種です。
旧大陸には広く分布しますが、新大陸にはいない種です。
ヨーロッパ人にとってもなじみの薄い動物です。
原詩では「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」と表現されます。
唐突にアンテロープが登場しているのです。
「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」の意味は何なのでしょうか。
この問題を考える際に、重要なのは時代背景です。
1870年代のカンザスでは、白人と先住民の陰惨な戦いが繰り広げられていました。
ヒグリーはこの戦いの勝利者側の人間です。
原詩Home on the Rangeは、白人の勝利宣言の歌とも読めると書きました。
しかし、私は少し異なる理解をしています。
その鍵がこの「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」です。
鹿はアメリカ大陸に野生していました。
ヒグリーの目の前には現実に鹿がいました。
彼は先住民を鹿になぞらえ、
旧大陸からやってきた白人をアンテロープになぞらえたのではないでしょうか。
このように理解すると、
「鹿とアンテロープが遊ぶhome(ふるさと/家)」は、
先住民と白人が共生するhome(ふるさと/家)の意味になります。
私はこのフレーズがそのような意味に思えてなりません。
もしこのように解釈すると、ふるさとの意味も変わってきます。
まずhomeは家ではあり得ません。
homeはふるさとの意味になります。
そのふるさとはたんに白人入植者のhomeふるさとの意味ではなく、
先住民と白人の共通のhomeふるさとの意味になります。
「鹿(先住民)とアンテロープ(白人)が遊ぶふるさと」なのですから、
このように解釈するのが自然です。。
原詩の書かれた1870年代のカンザスは、
まだ戦いのただ中にありました。
戦いのただ中で「共生」を歌った歌と理解すると、
この歌は平和を願う歌だったと見なすことができます。
輝かしい自然に陰惨な戦いは似合わないと訴えているのが、
この歌であると私は理解しています。

(要約)原詩のdiscouraging word云々は、白人と先住民の間の憎しみと復讐の連鎖を断ち切り、陰惨な戦争を終結させようと訴えている。

もう一つ意味のわかりにくい言葉があります。
「鹿とアンテロープが遊ぶふるさと」に続いて、
discouraging wordが語られないと続きます。
直訳すれば落胆の言葉となります。
ただそうすると、これも唐突な感じになってしまいます。
この言葉を私は「憎しみ合いの言葉」と理解しています。
先住民と白人の戦いでは、
憎しみと復讐の連鎖が生じていました。
平和は憎しみの連鎖を断ち切ることによって実現できます。
共生のふるさとでは憎しみ合いの言葉は当然消えることになります。
それを「discouraging wordが語られない」ふるさと、
と表現しているのではないでしょうか。
対訳では「後ろ向きな語りなど聞こえない」と訳し、
歌詞訳では「光満つ いのちあふる ふるさと」と表現しました。
陰惨な世界からの決別を希求する歌であるとの理解に基づきます。


(要約)英語のhomeは居場所と感じる場所であるのに対して、日本語の過去の生活の地を意味する。

※ハウスhouseは家なのですが、ホームhomeはhouseよりずっと多義的です。
英語の辞書には以下のようにあります。
1.   A place where one lives; a residence.
2.   The physical structure within which one lives, such as a house or apartment.
3.   A dwelling place together with the family or social unit that occupies it; a household.
4.   a. An environment offering security and happiness.
      b. A valued place regarded as a refuge or place of origin.
5.   The place, such as a country or town, where one was born or has lived for a long period.
おそらくhomeに一番近い日本語は居場所でしょう。
居場所と感じる場所がhomeで、homeには心理的要素が含まれています。
my old Kentucky home(懐かしきケンタッキーの我が家) のhomeはほぼ家ですが、
このhomeにも微妙に心理的要素が含まれているように思えます。
上記の「5.人が生まれたあるいは長く生活している国や町のような場所」は、
日本語ではふるさとです。
ただhomeは実際の居場所であるだけでなく、居場所と感じる場所まで含まれます。
そのために、homeとふるさと(故郷)の間にはニュアンスの相違が生じます。
故郷はもともと中国語から入ってきた言葉です。
出身地ほどの意味だったと思われます。
現代中国語の故郷は日本語の故郷と同じで、
生まれた地、育った地を意味します。
魯迅の小説「故郷」は、日本語の故郷と同じ意味です。
日本語でも中国語でも、
故郷は過去性を色濃く帯びています。
特に日本では故郷は「古里・故里・ふるさと」であり、
現在の生活の地と対比される過去の生活の地を意味します。
一方、英語のhomeはというと、
やはりいくぶんかは過去性を帯びています。
しかし、日本語の故郷(ふるさと)と較べるとその過去性はずっと薄いように思われます。
エーデルワイスの歌詞にmy home land foreverとあります。
このhome landは過去に生活していた故郷(ふるさと)の国ではなく、
現に生活している自分の国の意味です。
同様に、home townは過去に生活した町であってもよく、
現在生活している町でもよい言葉です。
このように現在性・主観性を持つ「home」と過去性の強い「故郷(ふるさと)」には、
ニュアンスの違いがあります。
homeを日本語の「ふるさと」置き換えると、
現在性がなくなり追憶の対象となりがちです。
それにもかかわらず、敢えてふるさととしたのはある考えによります。
この点については、機会があれば書いてみたいと思います。

ピースソングとしての「草原のふるさと」(英語ページ)要約】
このページの英語版だが、このページとの相違点は、「ビーバー川の土手に毒草は茂らない」がインディアン戦争のビーバー川の戦いを念頭に、不戦を願うフレーズと指摘していることなど。反戦歌として解釈できるとの論旨。

関連記事
聖処女幻想の国(4)「峠の我が家」考
ピースソングとしての「草原のふるさと」 (英語)

参照
インディアン戦争(日本語wikipediaの解説。よくまとまっている。)
『峠のほのぼのわが家』???
峠の我が家 歌詞・MIDI・日本語訳 (対訳。ただしテキストはオリジナルバージョンでない)

2013年3月5日火曜日

聖処女幻想の国(4)「峠の我が家」考

誰でも知っている歌に「峠の我が家」があります。
これはもともとアメリカの民謡です。
日本では数種類の歌詞があるようですが、
タイトルはいずれも「峠の我が家」となっています。
「峠の我が家」の原詩と日本語歌詞の異同については、
さまざまに考察が行われています。
考察では、特に「峠」の訳が話題になっているようです。
しかし、原詩と日本語歌詞の決定的な違いについては、
言及されていません。

二木紘三のうた物語参照
ページ下部コメント欄も参照

日本語歌詞では一様にmy homeを「我が家」と捉えています。
しかし、原詩のmy homeは「我がふるさと」であって、
「我が家」ではありません。
1番から6番まである原詩は、
いずれもふるさとの情景を描いています。
my homeは1番と6番の歌詞にあります。
ざっと見てみましょう。
home where the Buffalo roam
牛がうろついているのは「我が家」ではなく、「我がふるさと」です。

That I would not exchange my home here to range
この平原をこそ私の変わることのないふるさとしたい(と思う)、
と言うことですからmy homeは、
「我が家」ではなく「我がふるさと」なのです。

1番から6番まである原詩のどこにも、
「我が家」のことはありません(原詩と翻訳参照)。
「我がふるさと」の歌が、日本では「我が家」の歌に変わっているのです。

私は「峠の我が家」を和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどと重なる家族の歌だ
と思っていました。
そしてこの歌を好きでしたし、今も好きです。
ところが、後にたまたまHome On The Rangeを聞きました。
「えっ、これは家族の歌でない」と驚いたのです。
歌詞を調べてみましたが、これは100%家族の歌ではありませんでした。
日本語の歌詞の作者もおそらく、
原詩がふるさとの歌であり家族の歌でないことを知っていたでしょう。
あえて、「我が家」の歌にしてしまったのではないかと想像しているのです。

「峠の我が家」の種々の訳詞がなされたのは1960年代前後です(ページ下部追補参照)。
元の詩を忠実に訳して「我がふるさと」の歌にしていたら、
この歌は人々に愛されることはなかったでしょう。
その頃、和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどのイメージを家族は持つようになっていました。
人々の持つ家族についてのイメージを取り込んだので
「峠の我が家」は広く受け入れられたのではないかと思います。

私は小学校の5年生の夏休みに「次郎物語」を読みました。
いや、読まされました。
なぜ「次郎物語」を読まされたのか、未だに不明です。
私にとって「次郎物語」の世界は全く異次元の世界でした。
その家族には、
和やか・温かい・心和らぐ・団らん・癒しなどの要素がないのです。
それはかなりショッキングな世界で、
読むのが苦痛だったことを覚えています。

1960年代だからこそ、「峠の我が家」は受け入れられたのではないかと書きました。
そう書いたのは、あの「次郎物語」の時代には、
「峠の我が家」は決して受け入れられなかっただろうと確信できるからです。
「次郎物語」の世界と「峠の我が家」の世界は、
余りにもかけ離れています。
「次郎物語」の時代の家族から「峠の我が家」の時代の家族へ。
この変化は徐々に進行したのではありません。
農地改革と家族計画が日本に「峠の我が家」を出現させました。

日本の戦後の家族計画運動は空前規模の産児制限運動であり、
その成果は人類史上例を見ないほどです。
(中国の一人っ子政策や開発途上国の産児制限運動のモデルとなりました)
戦後の家族計画運動は新しい家族像を提示するものでした。
夫婦が2人の子どもと明るい家庭を築く。
これは「次郎物語」の家族像とはかけ離れており、
「峠の我が家」の家族像です。
息苦しい「次郎物語」の世界から解放するものが、
家族計画でした。
これが家族計画運動が成功した大きな要因の一つです。
この解放をもっとも歓迎したのは女性達でした。
追補
「峠の我が家」は戦後の歌と思い込んでいました。
ところが、それは誤りで1940(昭和15)年、
佐伯孝夫訳詞の「峠の我が家」がリリースされていました。
その歌詞は、以下のようになっていました。

「なつかしや 峠の家
木々の みどり深く
朗らかに 人は語り
青き空を 仰ぐ
あゝ 吾が家
帰りゆく 日あらば
谷水に のどうるおし
けもの追いて 暮さん」

この歌詞はふるさとを回想するというもので、
文部省唱歌「ふるさと」と同じ趣向です。
唱歌「ふるさと」の刷り込みが作用しているように見えます。
「我が家」は懐かしいものであっても、
和やかな暖かみのある「家族」は読み取れません。

他の「峠の我が家」は1960年代前後と推測しています。
1961(昭和36)年NHK 「みんなのうた」で、
中山知子訳詩の「峠の我が家」が紹介されました。
岩谷時子氏、久野静夫氏、滝田和夫氏の「峠の我が家」も、
それと前後する時期ではなかったかと思います。
岩谷時子訳の「峠の我が家」は教科書に出ていたとのことで、
普及したようです。
その歌詞は以下のようになっていました。

あの山を いつか越えて
帰ろうよ わが家へ
この胸に 今日も浮かぶ
ふるさとの 家路よ
ああ わが家よ
日の光かがやく
草の道 歌いながら
ふるさとへ帰ろう
あの山を 誰と越えて
帰ろうか わが家へ
流れゆく 雲のかなた
ふるさとは 遠いよ
ああ わが家よ
日の光かがやく
丘の道 歌いながら
ふるさとへ帰ろう

我が家はワクワクする存在となっており、
「ああ わが家よ」と歌われています。
龍田和夫訳では、
「悲しみも憂いも無き 微笑みの我が家」
と歌われ、
藪田義雄訳では、
「ああ楽し 峠の我が家 うるわしき 明け暮れ」
と歌われています。
戦前の佐伯孝夫訳とは「我が家」の意味が変わってきているように思われます。
佐伯孝夫訳詞のタイトル「峠の我が家」の刷り込みと、
当時の「マイホームブーム」の刷り込みが重なり、
1960年代的「峠の我が家」が作られたのではないでしょうか。

聖処女幻想の国(5)に続く


(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)

2013年3月4日月曜日

聖処女幻想の国(2)けがの功名だった改名


アメリカ産児制限連盟(the Birth Control Federation of America)は、
1942年にthe Planned Parenthood Federation of Americaに改名します。
改名の理由は「産児制限」の名称が、家族否定との誤解を生じる事にあったようです。
サンガーは新名称についてローズ(D. Kenneth Rose)に相談します。
ローズは「産児制限」の名称を捨てて、
代わりに「Planned Parenthood」を用いるように提案しました。
この新名称についてサンガーは難色を示したと伝えられています。
サンガーは自らの造語である「産児制限」に愛着を感じていました。
(以上、Linda Gordon, Woman's Body, Woman's Right (New York: Grossman, 1974, 1976).参照)
 
 
parenthoodの意味は、「親であること」です(参照)。
参照ページには-hoodのつく言葉について解説されています。
1942年の時点でおそらくparenthoodという英語はなく、
ローズの造語であったのではないかと想像します。
少なくとも、ポピュラーな英語ではなかったでしょう。
とすると、なぜローズはわざわざparenthoodという新語を造ったのでしょう。
新名称が家族否定の誤解をなくすためであれば、
Planned ParenthoodではなくPlanned Familyでもよかったはずです。
Planned FamilyでなくPlanned Parenthoodとされた謎は残されたままです。
 
 
新名称Planned Parenthoodは、漠然とした概念です。
Planned Parenthoodへの改称後の活動内容をみると、
避妊に焦点化された活動から周辺領域に拡大しています。
たとえば、結婚教育・相談や不妊治療などです。
避妊についても、出産間隔を空けることを奨励しました。
当時、Planned Parenthoodの活動の担い手は男性になっていました。
彼らによるファミリーセンター化プログラムは、
公衆衛生政策とマッチし政治的反発を避けながら地域に浸透していきました。
Planned Parenthood概念の不明瞭さが、
活動範囲の広がりと関係していたように思えます。
 
 
活動範囲の広がりはいくつかの意味を持っています。
一つは、貧困層を対象とした活動から、全市民対象の活動への広がりです。
二つは、農村部を含めた全米的な活動への地域的広がりです。
三つは、リプロヘルス全般の活動への広がりです。
四つは、対象年齢層の広がりです。
五つは、対象の男性女性両性への広がりです。
 
 
この内、日本との対比で重要なのは、四つ目と五つ目です。
別エントリーで見るように、
日本の家族計画は既婚女性を対象としました。
一方、Planned Parenthoodは早くから婚前の男女を対象とし、
結婚相談などの活動をしていました。
戦後のアメリカでは婚前の性交渉が徐々に広がります。
そこに新たな避妊需要が生じていました。
それにすぐさま気づく体制が、
曖昧概念のPlanned Parenthoodにはできていたと言えます。
当時の主要な避妊手段はペッサリーでした。
ペッサリーは必ずしも未婚女性に適した方法ではありません。
若年層の避妊問題解決が課題となっていたので、
ピルは受け入れられるべくして受け入れられました。
 
 
Planned Parenthoodの名称は漠然性を持つと書きました。
この名称が採用された当時、婚前男女の性交渉はまれなことでした。
だから、この名称は漠然として不明瞭な概念でした。
しかし、時を経て婚前交渉が一般化して行くにつれ、
Planned Parenthoodは新たな意味を持つようになりました。
いつしか、Planned Parenthoodは「脱できちゃった婚」の意味を持つようになっていました。
こうしてPlanned Parenthoodは再び、Birth Controlの意味を持つようになりました。
 
 
以上、Planned Parenthoodの超簡略歴史を振り返りました。
「聖処女幻想の国」のテーマとは、直接関係ありません。
それでも、この話から始めました。
アメリカは聖処女幻想がもっとも希薄な国の一つです。
アメリカでは婚前交渉の広がりを現実として受け取り、
現実的な対応が取られました。
聖処女幻想が希薄な国・地域・階層では、
同様な現実的な対応が取られたように思えます。
聖処女幻想が希薄だから現実的な対応が取られたとも、
現実的な対応が取られたから聖処女幻想が希薄になったとも、
どちらにも考えられます。
私は後者、アメリカでは現実的な対応が取られたから、
聖処女幻想が希薄になったのではないかと考えています。
 
 
歴史的・民俗的な聖処女信仰と、
近代社会のそれが連続していることは否定しませんが、
そこには質的断絶があるように思えるのです。
近代社会における「聖処女」は「ふしだら少女」との対概念ではないか?
「ふしだら少女」イメージの対極として「聖処女」イメージはあるのではないか?
このように考えています。
未婚の性に対して現実的対応を取った国では、
「ふしだら少女」のイメージが膨らむことはなかったように思えます。
逆に現実的対応が取れなかった国では、
道徳的にコントロールする必要があり、
「ふしだら少女」イメージが作られたのではないかと考えます。
そして「ふしだら少女」は現実的存在でもありました。
イメージの、そして現実の「ふしだら少女」が、
反動として聖処女幻想を生み出すことになったのではないか。
このように考えているのです。
 
もしそうだとすると、Planned Parenthoodへの改称は、
多くの怪我の功名を生み出したことになりました。


 

聖処女幻想の国(3)に続く

(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)

2013年3月3日日曜日

聖処女幻想の国(1)蘇る聖処女幻想

10年あまり前、次の文章を書きました。
■性道徳について     ▼次へ/▲前へ /先頭へ
★かつてピル反対論者の本音は、ピルを解禁すれば性が乱れるというものでした。今でもそのような偏見を持っている方は、少なくないと思います。
★夫や恋人といった特定のパートナーと性的関係を持っていること、これを不道徳というのは、SEXそのものを否定的にしか見ることのできない特殊な方だと思います。私はそういう方を聖人として尊敬します。聖人は山にでも籠もって、仙人のような生活をしていてほしいものです。ところが、町に隠れ聖人が結構たくさんいるようなのです。これはタチが悪い。自分についてはぜんぜん聖人であることを求めないのに、女性に対しては聖人であることを求める輩です。女性が性的関心を抱くことさえ、快く思わないらしいのです。実は日本の男性には、程度の差はあれこの隠れ聖人が非常に多いように思います。もし、あなたがピルに躊躇する気分があるなら、自分の心の中のどこかに隠れ聖人が住んでいないか考えてみて下さい。そして、あなたが隠れ聖人であるなら、ぜひほんとうの聖人になって下さい。そしたら、あなたを尊敬してあげます。しかし、自分自身が聖人になれないのなら、女性にそれを押しつけるのは止めてほしいですね。女性が性的な関心を持つことは不道徳なことではないのです。


この文章は、「ピルとのつきあい方」開設後しばらくたったころに書いたものです。
当時、結婚前の女性が性経験を持つことは、
現在と同じほどに珍しいことではなくなっていました。
むしろ、当然のこととなっていました。
ところが、その現実を受け入れることのできない意識が、
親の世代にも青年世代にも、
男性にもそして女性にも残っていました。
現実に遅れて意識も変わっていくだろう。
当時、そのように考えていました。

しかし、この10年間の日本で、
意識は全く変わらなかったように思えます。
いや、それどころか、むしろ強まっているのではないかとさえ思えます。
現実離れした聖処女幻想が、
逆に現実を動かし始めているように思うのです。

性教育批判
子宮頸がんワクチン反対
ピルの避妊目的使用嫌悪
緊急避妊薬「適正使用」

これらはこの10年の日本で生じた現象です。
それぞれ別の現象のようで、
その背後に聖処女幻想が関係しているように思えてなりません。
このような観点から、日本の聖処女幻想について考えていくことにします。

聖処女幻想の国(2)に続く

(1)蘇る聖処女幻想
(2)けがの功名だった改名
(3)国策家族計画運動
(4)「峠の我が家」考
(5)「ふしだら少女」の誕生
(-)

2013年3月2日土曜日

緊急避妊薬適正使用を妨げる偽「適正使用」


緊急避妊の「適正使用」って別に悪くないんじゃない?
きちんと避妊せずに「後で緊急避妊すればいい」
なんて勘違いする馬鹿女ってきっといる。
そんな馬鹿女が出ないようにすることって、とっても大事。
緊急避妊が安易に使えたら馬鹿女のためにだってならないわけだし。
それに、緊急避妊が安易に使えたら、
性感染症だってきっと広がると思う。
緊急避妊はレイプとかコンドーム破損とかやむを得ないときに限定すべきで、
乱用防止のために「適正使用」を徹底するのが、
どうしていけないのかわからない。

「適正使用」推進の論理を平たく言うとこのようになるでしょう。
今、このブログを読んでいる読者の皆さんは、
どのようにお考えになるでしょうか?
多分、多くの方は「賛成」だったり「理解できる」というお考えではないかと思います。
というのは、この「適正使用」推進論に漠然とした違和感を感じる人はいても、
真っ向から反対している人を見たことがありません。
私は「適正使用」推進論に真っ向から反対です。
100万人の人に白眼視されようとも反対ですし、
100年経っても反対の気持ちは変わらないでしょう。
なぜ、私が反対なのか、耳を傾けて下さい。


ピル解禁前の反対論にピルを解禁すると、
馬鹿女どもの異性関係が乱れて性感染症が広がると考える人がいました。
実際にそのようなことは起きません。
そのようなことが起きると考えるのは、
おじさんの妄想なのです。
「適正使用」推進論も同じ妄想を繰り返しています。
仮に緊急避妊に頼ってリスキーな性交渉を持つ女性がいたとします。
彼女はどのように緊急避妊薬を服用すると思いますか?
毎週緊急避妊薬を飲むのですか?
緊急避妊薬を無償で配っても、
そのような飲み方をする女性はいません。
つまり、「乱用」という心配自体が妄想の産物に過ぎないのです。
実際、多くの国で緊急避妊薬は安価で、
しかも手軽に買える薬としてドラッグストアで販売されています。
そのどの国でもそのような意味での「乱用」が生じなかったことは、
エビデンスとして上がっています。
ピル解禁に反対したおじさんの妄想は、
今まだ日本では健在です。
「乱用」妄想はピルを40年にわたって封印してきた国ならではの考えです。


諸外国では緊急避妊の敷居をこれでもか、
これでもかと低くしてきました。
そのわけは「乱用」どころか、
緊急避妊を必要としている女性が緊急避妊にアクセスしないからです。
どこの国にも性に関する知識のなさから、
望まない妊娠をしあるいは中絶をする女性がいます。
この女性達の少なくない割合は、
月経が来なくて始めて妊娠の心配をし始めています。
緊急避妊は性交渉から3日以内にアクセスする必要があります。
この彼女たちに3日以内に緊急避妊にアクセスしてもらうのは、
とてもむつかしいことなのです。
女性が性についての一定の知識を持つことを前提に、
緊急避妊は成り立ちます。
学歴が高いほど緊急避妊の利用率が高くなるのはそのためです(参照アメリカの緊急避妊)。


私からみると、緊急避妊の「適正使用」イコール「乱用防止」とする考えは間違いです。
緊急避妊を必要とする事態となった人が緊急避妊を利用するのは、適正使用です。
緊急避妊の不必要な人が緊急避妊を利用しないようにするのも、適正使用です。
適正使用とは、本来それを必要とする人が使用できるようにすることです。
この意味の適性使用を実現するのは、教育しかありません。
このように考える私は、
ノルレボの価格を高くすれば「適正使用」が実現するという考えが全く理解できません。


昨夜できなかった掲示板のチェックを今朝しました。
そこで見かけた2つの事例を紹介します。
1つはヤーズユーザーで3錠目を12時間飲み遅れ、
病院でノルレボを処方されていました。
いくらヤーズの避妊効能が認められていないからと言っても、
これは「乱用」に当たると思います。
もう一つの例は、トリキュラーの新シート移行の際に2錠の飲み忘れがあり、
性交渉のあったケースです。
緊急避妊を考慮してよいケースですが、
相談した薬剤師は「生理が終わって直ぐだから排卵はないと思う」と答えています。
必要ないのに緊急避妊薬が処方され、
必要であっても必要ないとアドバイスされる現状こそ、
適正使用に反する状況です。
「適正使用」イコール「乱用防止」と考えられていますから、
緊急避妊の必要な状態についての予備知識を
ピルユーザーのほとんど全員が指導されていないでしょう。
服用者向け情報提供資料には何らの記述もありません。
「いつでも不安」か「いつでも平気」。
これは2種類の女性ではありません。
1つの裏表です。
「いつでも不安」な女性がやがて「いつでも平気」な女性に変わります。
「いつでも平気」な女性は心の片隅に「いつでも不安」な気持ちを持ち続けています。
最初は不安でもたまたま事なきを得る状態が続くと、
少しくらい大丈夫という気持ちになってしまうのです。
そして望まない妊娠をしてしまうケースが山ほどあります。
だから、「いつでも不安」な女性のうちに、
きちんと働きかけることが重要なのです。
各国では十代女性の避妊の敷居を低くする努力を重ねています。
「いつでも不安」な性の初心者の女性は、
性の教育をもっとも求めている人達です。
欧米では敷居の思い切り低い若者向けの性の相談施設が発達しています。
コンドームだけでなく、緊急避妊薬やピルが無償で提供されることも少なくありません。
私はそれを理想的だと考えています。
その私からみると偽「適正使用」推進は理想の逆です。
偽「適正使用」推進は若者を緊急避妊から遠ざけ、
教育の絶好の機会を放棄することになるからです。

もう一度繰り返します。
私は偽「適正使用」推進論に真っ向から反対です。
100万人の人に白眼視されようとも反対ですし、
100年経っても反対の気持ちは変わらないでしょう。

2013年3月1日金曜日

今まで嘘言ってごめんね~って・・・

緊急避妊薬でなぜ妊娠率を下げることができるのでしょう。
この問題については、30年の間、種々の議論が繰り返されてきましたが、
未だに定説と言えるものはありません。
2001年に日本家族計画協会は「あなたに知っていて欲しい緊急避妊のこと」で、
以下のように説明しました。

どうして、緊急避妊ができるのですか? 
  あなたの月経周期のどの時期に、緊急避妊ピルが服用されたかによって作用の仕方が異なりますが、例えば排卵を抑制する、受精を妨げる、子宮への受精卵の着床を阻止するなどが考えられます。妊娠の成立とは、受精卵が子宮内膜に着床することを言うのですから、いったん着床してしまったら、すなわち妊娠が成立した場合には、緊急避妊ピルが有効でないことはいうまでもありません。

この2001年の記述は、北村邦夫氏の論文、さらにはノルレボの添付文書に踏襲されます。
ノルレボの添付文書には以下のように説明されています。

本剤の子宮内膜に及ぼす作用,脱落膜腫形成に及ぼす作用,受精卵着床に及ぼす作用,子宮頸機能に及ぼす作用及び排卵・受精に及ぼす作用に関する各種非臨床試験を行った結果,本剤は主として排卵抑制作用により避妊効果を示すことが示唆され,その他に受精阻害作用及び受精卵着床阻害作用も関与する可能性が考えられた.6)7)
6)Van der Vies, J. et al.: Arzneimittelforschung, 33 : 231, 1983
7)Oettel,M.et al. : Contraception, 21 : 537, 1980

古い参考文献が上げられていますが、
「主として」とある部分はやや最近の研究動向を反映しています。
当サイトが「いざというときの緊急避妊法」を書いた1999年時点でも諸説が入り乱れていましたし、
今でも諸説が入り乱れています。
たとえば、家族計画協会がこだわる受精卵着床阻害作用だけとっても諸説あります。
1980年代までは受精卵着床阻害作用は有力でした。

Yuzpe AA, Thurlow HJ, Ramzy I, Leyshon JI. Post coital contraception—a pilot study. J Reprod Med. 1974; 13:53-8.
Ling WY, Robichaud A, Zayid I, Wrixon W, MacLeod SC. Mode of action of dl-norgestrel and ethinylestradiol combination in postcoital contraception. Fertil Steril. 1979;32:297-302.
Ling WY, Wrixon W, Zayid I, Acorn T, Popat R, Wilson E. Mode of action of dl-norgestrel and ethinylestradiol combination in postcoital contraception. II. Effect of postovulatory administration on ovarian function and endometrium. Fertil Steril. 1983;39:292-7.
Kubba AA, White JO, Guillebaud J, Elder MG. The biochemistry of human endometrium after two regimens of postcoital contraception: a dl-norgestrel/ethinylestradiol combination or danazol. Fertil Steril. 1986:45:512-6.

ところが、1990年代には疑問視する論文が提出されていました。

Taskin O, Brown RW, Young DC, Poindexter AN, Wiehle RD. High doses of oral contraceptives do not alter endometrial α1 and ανβ3integrins in the late implantation window. Fertil Steril. 1994;61:850-5.
Swahn ML, Westlund P, Johannisson E, Bygdeman M. Effect of post-coital contraceptive methods on the endometrium and the menstrual cycle. Acta Obstet Gynecol Scand. 1996;75:738-44.
Raymond EG, Lovely LP, Chen-Mok M, Seppälä M, Kurman RJ, Lessey BA. Effect of the Yuzpe regimen of emergency contraception on markers of endometrial receptivity. Hum Reprod. 2000;15:2351-5.

 
このように緊急避妊の作用機序は議論が複雑なので、
旧版には作用機序についてなにも書きませんでした。
ところが、家族計画協会は当時ほぼ否定されていた受精卵着床阻害作用などを持ち出してきます。
現在では過去の遺物となったような理論が、ノルレボ添付文書には堂々と書かれています。
ただ、緊急避妊薬の作用機序は諸説入り乱れた状態が続いていますので、
どのような見解であっても見解として尊重されてよいのかなとも思います。
----------------------------------------------------------------
私が心配なことは一つだけです。
日本で緊急避妊は科学の問題ではなく政治の問題となっています。
そのため、科学的知見の内の「適正使用」に都合のよい部分だけが
意図的に抜き出されていることを指摘しました。
もう一つのノルレボ物語(1)-(12)参照
その最たる例が服用時間が早いほうが効果が高いことを秘密にしていることです。
都合の悪い事実は隠されてしまうのです。
そして親衛隊がそれを絶対視するよう強制しています。
いわば、科学の教義化が生じています。
2001年以来、家族計画協会→ノルレボ添付文書に踏襲されている作用機序は、
1980年代の古い学説ですがそれが教義化されているように思えます。
さらに、家族計画協会の女性向けサイトの説明変更を見ると、
不安が膨らみます。
下の画像の上が2008年11月頃の記述内容です。
「排卵を抑制・遅延させる」が上げられています。
下は現在の記述です。
「子宮内膜の状態を変え、精子を着床しないようにするもの」と書かれ、
以前の「排卵を抑制・遅延させる」が消え落ちています。


わざわざ、排卵抑制作用が削除されています。
緊急避妊に早くアクセスした方が効果的との認識が広がるのを防ぐために削除したのでしょうか。
それとも、ただ「精子の着床」とか珍説を思いついただけなのでしょうか。

ほぼ否定されている1980年代の学説でも代理人の言うことであれば正しいと信じ、
「異端者」攻撃の材料に使ってきた親衛隊グループがあります。



政治に迎合し、教義化を図り、親衛隊の暴虐がまかり通る日本のピルの、
日本の緊急避妊の現状を悲しく思います。
「今まで嘘言ってごめんね~ってあやまらないのか」など、
意味不明な言辞を弄しながら、
当サイトに対して長年にわたり中傷キャンペーン続け
wikipediaを書き換えなど姑息な行為を繰り返してきた親衛隊がまず行うべき事は、
家族計画協会サイトの「精子の着床」など噴飯言説の訂正を進言することでしょう。
「今まで嘘言ってごめんね~ってあやまらないのか」は自らと家族計画協会に対して言うべき言葉だろうと思います。


参照 James Trussell, Elizabeth G. Raymond, Emergency Contraception: A Last Chance to Prevent Unintended Pregnancy 2013年2月版。なお、毎年更新されたものがアップされている。大幅変更のない部分は変更されないので、文中の「最近」が最近でないことも多い。