偏見と差別の関係
世の中にはさまざまな偏見があります。
偏見はしばしば差別を生み出します。
差別とは理不尽で不利益な扱いです。
差別は偏見と結びついていることが多いのですが、
偏見は必ずしも差別と結びついていないことがあります。
社会の進歩と人々の努力によって差別は解消される方向に進んでいます。
しかし、差別がなくなることと偏見がなくなることは別です。
差別と結びつかない偏見は、
目に見えないのでとても厄介です。
これからは「差別なき偏見」がますます増えてくることになるでしょう。
「差別なき偏見」の厄介さ
ピルユーザーへの偏見について、
中迎聡氏は「男がどういう偏見持ってようが関係なくてだね
(服用するのは女性なんだから男性がどう思おうが服用できる)、」
とツイートしたことがあります。
この言説は見方によっては、2つの意味が込められています。
たとえ偏見の目で見られていても気にしないで乗り越えろ、
とする励ましの言葉だと考えられなくもありません。
しかし、もう一つの意味は偏見を気にする方に問題があるとして、
偏見を免罪する言説になっているとも考えられます。
中迎聡氏流の心の持ちよう論は何かと応用可能です。
「世間が女は○○という偏見持ってようが関係なくてだね
(△△するのは女性なんだから世間がどう思おうが△△できる)、」
中迎氏流を使えば、
全ての偏見を免罪し偏見を受ける側の問題に還元することができます。
しかも、偏見を受ける側の人を励ます言説だと強弁することさえできます。
「差別なき偏見」の厄介さは、心構え論に還元されるだけではありません。
「差別なき偏見」は、見解の相違論でうやむやにされてしまいます。
差別は事実として語ることができますが、
偏見は意識なので「誰がそんなこと思っているの?」で逃げられてしまうのです。
「差別なき偏見」の厄介さ子宮頸がん偏見を例に見てみましょう。
子宮頸がん偏見について
子宮頸がん患者が社会的に不利益な取扱をされていることは、
恐らくないでしょう。
つまり、差別はないと考えてもよいでしょう。
しかし、先日のブログで見たように、
子宮頸がん患者に対する偏見は存在します。
その偏見は、
「性交開始年齢が早く、不特定多数の男性とセックス経験がある女性が子宮頸がんになりやすい」
というものです。
子宮頸がん患者がこのような目で見られることに嫌悪感を持つのは当然と思います。
まさに「差別なき偏見」のパターンなのです。
「差別なき偏見」はいったん広まってしまうと、
その解消には絶望的なくらい多大なエネルギーを要します。
「差別なき偏見」の仕組みについて考えてみます。
①露見しにくさ
患者さんのブログでは、明確に偏見の存在を問題視しています。
しかし、偏見の対象となっている人が偏見に異議を唱えることはまれです。
なぜなら、患者さん自身が偏見を知っていれば、
子宮頸がんであることをカミングアウトしません。
カミングアウトしなければ、
この偏見は露呈しないのです。
患者さんが偏見を知らずにカミングアウトしたとしても、
周囲が直接この偏見を本人に伝えることもまれです。
偏見が露呈しなければ、それを糺そうという声も上がりません。
この偏見は露呈することなく、じわじわ広がっていくのです。
②当人による受け入れ
患者さんのブログを見ると、偏見の存在に気づく気づき方も様々ですし、
偏見に理由がないことを知るきっかけも様々なようです。
ブログは偏見の不条理に気づいた人が書いています。
しかし、この偏見が偏見であると当人は気づきにくいのです。
「性交開始年齢が早い」といえば、ある程度の人が自分に当てはまると考えます。
「複数の男性と性交渉がある」といえば、ある程度の人が自分に当てはまると考えます。
そのために、あるいは自責の念を持ち、あるいは後悔する人がいます。
この偏見は当人によって受け入れられていることが少なくありません。
③真実性
この偏見は医療関係者によって語られることが多く、
そうかもしれないという真実性の響きを持っています。
しかし、一面の真実が紛れもない真実として語られることも少なくありません。
「男性経験が多いほど子宮頸がんにかかるリスクが高い」について
具体的モデルを上げて考えてみましょう。
もし、男性1000人中1人がHPV感染者である場合、
男性経験の人数が多いほどHPV感染者と当たる確率が高くなります。
100人の男性経験 10%
10人の男性経験 1%
3人の男性経験 0.3%
2人の男性経験 0.2%
1人の男性経験 0.1%
男性経験数とHPV感染者に当たる確率は比例します。
このモデルでは男性経験が多いほど、子宮頸がんリスクは高いことになります。
しかし、HPV感染は少なくとも50%、おそらくは80%の人が経験するほどポピュラーな感染です。
そこで男性1000人中450人が感染者である場合を考えてみます。
100人の男性経験 100%
10人の男性経験 100%
3人の男性経験 100%
2人の男性経験 90%
1人の男性経験 45%
この結果を統計処理すれば、
やはり男性経験数が多いほどHPV感染者に当たる確率は高いということになります。
しかし、男性経験数が2人であろうと、3人であろうと、100人であろうと、
ほとんど確率は変わりません。
HIV感染は上のモデルに近く、HPV感染は下のモデルに近いのです。
一般人はこのようなからくりを知らないので、
「男性経験が多いほど子宮頸がんにかかるリスクが高い」を真に受けてしまいます。
④道徳性のメッセージ
「男性経験が多いほど子宮頸がんにかかるリスクが高い」や
「性交開始年齢が早いほど子宮頸がんにかかるリスクが高い」は、
貞淑な女性を善とする道徳感情にマッチします。
道徳感情にマッチする言説はより多くの人に受け入れられる傾向があります。
⑤政治的誘導
政治は政策実現に都合のよい「科学的成果」を取り入れようとします。
子宮頸がんについての偏見は、性感染症の拡大防止の政策に好都合なので放置し、
場合によっては偏見の拡大を誘導します。
なぜ偏見の除去が必要なのか
この偏見が子宮頸がん患者さんを傷つけ、
あるいは必要のない後悔を強いています。
これがこの偏見を除去したいと思う理由です。
子宮頸がん偏見は当事者だけの問題ではありません。
子宮頸がんを減らす決め手は、ワクチンと検診です。
ところが、このような偏見が広まれば、
ワクチンや検診の妨げとなります。
日本の検診率はようやく30%に達するかどうかというレベルです。
先進国中でダントツの最悪検診率です。
これを他の先進国並みに上げていくには、
性経験のある女性なら誰でも可能性があるとの認識が不可欠です。
ところが、この偏見は正しい認識普及の障害となります。
検診を必要ないと思う女性や検診を躊躇する女性がでれば、
子宮癌当事者でない女性の健康利益にも反します。
子宮頸がん当事者のために、そしてわたしたち自身のために、
この偏見をなくしていきたいものです。
つけたし
子宮頸がん偏見は、他の偏見や差別と非常に似ています。
女性に対する、ピルに対する、・・・偏見や差別。
ピルユーザーは理不尽な偏見や差別を許さない独立自尊の人であってほしい、
と密かに願っています。
1 件のコメント:
自分は20ですが、小学校高学年までは絶対、エイズの女性に対しては正しい理解をしていたと思ってますが、
中学生からの教育課程に世間的な影響を受けた保守的な教育情報の中に偏見を事実上性教育に利用しているものが(教育として明らかに誤解や偏見を持たせる文章の後ろに偏見を持たないようにという言葉を付ける)感じられるのにその事が特に無視されている気がしてすごく嫌でした。
明らかにみんなに悪い物が在ります。この悪さは本当に救われないようなものです(人は間違ったソフトに適応すると本当の尊厳を失うと思います)
当然一度も言えないのが嫌でした
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